五新線の遺構 その4 天辻トンネル

その3にて、西野トンネルまでは追いかける事ができましたが、その先がよく分からなくてギブアップしました。
しかしながら、また現地を再訪しましたので書き込みします。


その3で、西野トンネルの入り口までレポートしました。
この西野トンネルは0.5km強の距離で、五條市西吉野町立川渡地区に達します。
ここで、いったん地上に出ますと、立川渡地区の中心近くに線路が経由することになるのですが、ここに立川渡駅を設置する予定だったようです。

駅をすぎると「立川渡トンネル」というループトンネルを山に穿ち、標高を徐々に上げていく予定だったそうですね。
しかし、このループトンネルは掘られないままで工事は中止されました。
もしも、掘られていたならば、↓の画像の中央、道路よりも少し下の辺りに出口が出来たものであろうと思います。

↓この画像の中央部の拡大。


そして、立川渡トンネルの出口予定地付近から急峻な谷を挟んだ反対側に、また別のトンネルが口を開けているのが見えました。
↓立川渡パノラマ画像。この画像の右端、中央付近に小さくトンネルの穴が見えます。

↓その拡大画像です。

このトンネルが「天辻トンネル」と称し、紀ノ川水系と熊野川水系を分け隔てる分水嶺の下を約5kmの距離でぶちぬくトンネルなのです。
このトンネルだけは、ループトンネルよりも先に工事が開始されて、竣工しているのです。


立川渡地区からクルマを南下させる事約7〜8km、猿谷ダムの湖面が見えてきました。
つづら折り、かつ、急な下り坂をクルマを降坂させていき、国道168号線ダム湖に面するとすぐに、天辻トンネルの出口が大きく口を開けていました。
↓トンネル出口。鉄格子で厳重に施錠されていました。

↓使われる見込みがなくなったトンネルで何やら観測がなされているのでしょう。

なんと、ニュートリノの観測だったとは・・・。
てっきり、岐阜県の神岡だけにしかないものだとばかり思っていました。
使われなくなったトンネルはキノコの栽培やワインの保管に活用されている事例が多いですが、まさかニュートリノとは。

天辻トンネルを抜け、猿谷ダムのダム湖に面したそこは「阪本」地区。

五新線計画におけるの国鉄・JRバス時代の路線名称「阪本線」は、ここから名づけられていました。
しかしながら、実際にはそのかなり手前(城戸)までしかバスは来なかったのですが。
五新線の遺構としては最も南が、この天辻トンネルであり、さらにこれより南には何も建設されないままに、建設中止となってしまいました。
歴史にifは禁物ですが、もしも、バスだけでなく鉄道がここまで開通していたならば、この辺りは一体どのような風景となっていたのでしょうか…。