五新線の遺構 その1 五條市内のアーチ橋

去る9月24日、五新線の路盤に走るバスを乗車しましたところ、違った角度からも五新線を見たくなりまして、そんな訳で翌25日に行ってきました。
五新線の遺構の実地検分に。
遺構めぐりは山の中が中心となり、公共交通機関利用ではとても機動的に移動できないため、我が家からクルマを動かして移動しました。


JR五条駅前の観光案内図。

JRバスが撤退してからかなりの年数が経つというのに、この案内図ではいまだJRバスが活躍中。


JR五条駅西方約1km地点に移動。

この付近から五新線は分岐予定だったようです。

舗装されていない砂利道*1のカーブの具合がいかにも鉄道予定地といった様子。
砂利道が市道に突き当たると、空き地があり、その向こうに藪があります。
一見すると線路予定地を見失いそうなのですが、藪の中をよく見ると、いかにも人間1人分程度の隙間があります。

隙間をくぐり抜けると…

左カーブを描く高架橋の上に出ました。
この上を行けるところまで歩いていきたいのですが、立ち入り禁止らしいので、これ以上進むのは断念しました。


高架橋を下から見ようと言う事で、道路を迂回して高架橋の下まで移動しました。
上記の藪の部分より高架橋の起点となります。

アーチが美しいですね。

国道24号線との交差地点です。

24号線の直上だけは橋桁が乗せられており形状が異なっています。


高架橋の下には歩道がありました。
これをたどって歩いていきます。

生い茂った草木のツルが時間の経過を物語っているようです。


新町通り*2と交差して、目の前に吉野川(紀ノ川)の堤防がせまってきたところで高架橋が途切れました。


ここもアーチ形状の高架橋から橋桁に構造が変化しています。
堤防を越えたらトラス橋でも架橋して吉野川を渡るつもりだったのでしょうか。
吉野川の中に橋脚は設置されていたそうですが、もう撤去されて何も残っていません。


新町通りに面した柱には、このような案内板が張り付けられていました。

「昭和34年に五條−新宮間の路盤工事が完成」とありますが、その後の工事を含めても実際には、城戸から数キロ南の宗川野地区までと、天辻トンネル付近しか工事は完成していなかったようです。


(続く)

*1:ということは私道?

*2:旧・紀州街道