五新線の遺構 その2 徐々に山中へ

その1からの続きです。


吉野川を渡りました。
国道168号線の大川橋の上より北西を望むと、↓の画像のオレンジ枠の中にかろうじて高架橋が見えます。

河川敷に橋脚は全く見えませんでした。
少しぐらいは痕跡があるかと期待したのですが。


吉野川を渡り南岸側へ来ますと、また高架橋が現れました。

橋脚に寿司屋の提灯がぶら下げられているのが何とも哀れ…
↑の画像の180度反対側が↓の画像です。

ここで、国道168号線とバス専用道が分岐しているのです。


分岐部に、高架橋に取り付ける予定だった盛土があり、その先端から五條市内を望みますと…

わかりにくいですが、高架橋とさらにその向こうに盛り土も見えます。
五新線は五条駅を出発すると、この付近までは立体交差が続いている予定だったのでしょう。


専用道にクルマを進入させる訳にはいきませんから*1、平行する一般道を通って南へと進んでいきます。

専用道向霊安寺バス停の少し北にある一部の交差点には、黄色と黒のゼブラ模様のようなものが見えます。(↑画像右下)
近づいてよく見てみると、遮断機が残されていました。

銘板を見ますと…

「昭和62年3月」と思いのほか新しいようです。
ちょうど、国鉄が民営化されたのが昭和62年4月で、ギリギリ国鉄時代に取り付けられたのか、もしくはJRになってから納入されたものでしょうか。
専用道で遮断機が残っているのは、私が気付いた範囲ではここだけだったようです。


専用道生子バス停の近くにはこんな標識がいまだに残っていました。

国鉄時代は遠くなりにけり…


また、この近くには立派なアーチ橋が架橋されています。

この上を、阪本発王寺経由湊町行き、もしくは奈良行きの急行がキロ含む5両ぐらいで走っていれば、きっと絵になったでしょうね。
もしくは、DE10牽引*2で、吉野杉の丸太を満載したトキや、秋には五條や西吉野名産の柿を満載したワムなどが数両連ねて最後尾にヨで締める貨物列車なども絵になるかも。
妄想は尽きません(^_^)


専用道神野付近まで来ました。
専用道は谷底に近い、かなり低い所を通っているのに対して、国道168号線はかなり高いところにあります。
その高い168号から広域農道が分岐しており、谷と専用道をまたいでいます。

この画像は五條方面を向いて農道の橋梁から撮りました。
画像中央に邸宅が見えますが、そのすぐそばに専用道神野バス停があります。
ここは行き違いを可能にするべく拡幅されています。


専用道向加名生バス停−専用道大日川バス停間に架かる橋梁です。

神野付近では専用道が低かったのに対し、大日川まで来ると、国道と専用道の位置関係が逆転しました。
勾配に弱い鉄道なので、少しづつ高さを稼いで位置が逆転したのでしょう。
とは言え、上記の神野付近の農道ほどには高くありません。
国道は川沿いを大きく蛇行しますが、専用道は橋梁からトンネルに入りショートカットです。
実に鉄道予定地らしいですね。


国道168号から少し脇道へそれます。*3
脇道にそれると集落があり、またそのすぐ近くに専用道衣笠バス停が設置されています。

大日川から約500Mのトンネルを抜けたところに見える橋梁がこの画像で、衣笠バス停の至近です。


国道168号線西吉野トンネルを抜けると、川の左岸(西側)が国道、川の右岸(東側)が専用道となっています。

この画像はトンネルを抜け、国道168号線黒渕口バス停*4付近から城戸方面に向けて撮影した画像です。
画像の奥に専用道が見え、そのやや手前が専用道城戸バス停、すなわち終点です。


城戸付近まで来ました。
川の対岸に城戸バス停へアプローチできるスロープが見えます。

スロープに至る入り口が↓ここ。

南都銀行の上に、城戸よりさらに南進する五新線の高架があります。
いかつい門型の橋脚をくぐって…

スロープを上がると、そこに専用道城戸バス停がありました。


現在、バス路線として活かされている五新線の遺構はここまで。
この先、建設が進められたものの、結局使われずにそのまま放置されているトンネルや高架橋、橋梁などがさらに続いています。
これらの全てではありませんが、一部を目にしてきましたので、またのちほど続きを書き込んでいきます。


(続く)

*1:だけど、クルマやスクーターの姿は見ました。たぶん地元の人でしょう。

*2:本命は9600やC12、C56ですが、無煙化の時代がそれを許さなかったでしょう

*3:この脇道はおそらく改良前の168号だと思いますが。

*4:専用道のバス停ではありません