五新線の遺構 その3 鉄建公団建設部分

専用道城戸より南、ここから先が建設が進められたけれど、結局バスも鉄道も走らなかった区間になります。


その2の最終の画像を撮影した地点から180°方向を変え、南に向けて撮影。
高架橋とその向こうにトンネルが続きます。

高架橋上は駐車場として利用されているようです。

トンネルの入り口にはフェンスが設置されています。
キノコの栽培などに利用しないのかな?


また、トンネルの入り口には銘板が取り付けられていました。

昭和54年竣工とあります。
国鉄再建法による建設中止は昭和57年ですから、かなりギリギリまで建設していたことになりますね。


高架橋の下には・・・

南都銀行が建っています。
きっと高架橋が完成した以降に南都銀行が建てられたのでしょう。
平地の少ない山間部でありますし、この上を列車が通って騒音・振動に悩まされる可能性もほぼゼロでしょうけど、よくこんな場所に建てたものですね。


五條市西吉野町城戸地区と坂巻地区の境界付近、塩川原橋バス停の東側に、城戸トンネルと坂巻トンネルに挟まれた明かり区間があるはずですが、見逃してしまいました。


五条市西吉野町阪巻付近に少しだけある明かり区間

前後をトンネルにはさまれて、明かり区間はわずか50M程度だけ。
明かり区間の北側が阪巻トンネル、南側が八坂トンネル。
(↓坂巻トンネル)

(↓八坂トンネル)

高架橋に入れなかったのでトンネルの銘板を見る事はできませんでした。
見られたら、竣工時期などが判明するのですが。


五條市西吉野町宗川野地区。
まず、八坂トンネルの出口。

そして、トンネルを抜けるとすぐに、大きな橋梁が架橋されています。

丹塗りのごとき朱色が鮮やかな宗川野橋梁。

現役で使用されているのだろうか、と勘違いしそうなほど。
そして、五新線は宗川野橋梁を渡るとすぐに西野トンネルに突っ込んでいきます。

城戸以南はもしも鉄道が開通して列車が走っていたとしても、車窓は、そのほとんどが漆黒の闇だったかもしれません。
そして、チラチラとだけ見えるほんのごくわずかの明かり区間
昭和の中盤以降に建設されている鉄道路線に共通して言える事ですね。*1


この先、国道168号線は9月の台風12号がもたらした豪雨での水害により、交通規制が敷かれています。*2
この日の段階では、地元の方の話によると、五條市西吉野町永谷(えいたに)地区以南は交通規制で到達不可との事。
本来ならば、さらに南下し、五條市大塔町阪本付近に残る天辻トンネル出口まで進みたいところですが、あいにく進めなかったのです。


国道168号から国道の西野トンネルを抜けたらすぐに脇道に左折し、西吉野町立川渡付近にもわずかに鉄道工事の痕跡が残っているそうなので、そちらのほうにクルマを進めてみたのですが、あいにく分からずじまい。
この付近は、紀ノ川水系と熊野川水系を隔てる分水嶺を越えるためにループ線を作る予定だったそうです。
(↓立川渡へ至る道路のかなり高所より、眼下に見える立川渡地区を撮影)

なので、この日の五新線痕跡探索はあいにく中途半端な状況で終わらざるを得ませんでした。
国道の交通規制が解除されて、周囲の状況が落ち着いた頃合にでも、また再訪してレポートしたいと思います。

*1:三陸鉄道牟岐線牟岐阿佐海岸鉄道甲浦、三江線浜原−口羽、などがその典型例

*2:国道168号線には警察や自衛隊の災害復旧対応のクルマが多く行き交っていました。