そうだ 九州 行こう その6(天草諸島はでかかった)

その5から続きです。


年が明けました。
1月1日です。
せっかくの年始なれど、曇ってすっきりしない天気。
この日はレンタカーを借りて、天草諸島へ行ってみましたので、あまり鉄分はありません。
熊本駅前のレンタカー営業所より出発。
クルマは19時までに返却で借りました。


まずは国道3号線を南下。
道路右手に工場が見え、赤いJRのロゴマーク
「幹クマ」こと熊本総合車両所です。
こんなものが見えたら寄り道しない訳には行きません。
電留線を跨ぐ道路「田尻誇線橋」があったので、そこより観察。
(↓誇線橋より北側)

(↓誇線橋より南側)

ですが、繁忙期だからか、持ち駒は全て運転されているようで、車両は全く留置されていませんでした。
クルマは、宇土駅付近で国道57号線へ入り進路を西へ。
57号線ということで、長部田海床路にまたも来ました。

満潮を期待していたのですが、この時間帯もあいにく満潮ではありません。
半日ここで待っていれば潮が満ちてきますが、そんな訳にもいきませんので、あきらめて西進。


行動に自由が効くレンタカーなので、またも寄り道してみました。
三角線赤瀬駅へ。
クルマを57号線の路肩が広くなっているところに置いて、駅へ向かいます。
海岸べりからいきなりの急坂。
斜面にはりつく小集落の中を息を切らせながら昇っていると、民家の飼い犬に吠えられました。
集落を抜けると道の両側が藪になっているので、本当にこの道で合っているのか不安になりながら進むと、そこに赤瀬駅がありました。
駅の周辺は一面藪ですが、芭蕉のような植物も見えます。
何だか熱帯のジャングルの中のような気分(だけど気温は5℃前後)です。
そんな藪を切り開くように線路が敷設されて、これ以上切り開けないところにトンネルがありました。

↑の画像が赤瀬駅ですが、これを見てピンと来た方は勘がいいかもしれません。
十数年前の青春18きっぷの広告は、この駅でロケされたのです。
この場に立って周囲を見てみると、特に雄大な景色が展開されている訳でもないのに、なぜこの駅が取り上げられたのでしょうか。
山間の小駅で一人ぽつんと列車を待つという構図を狙ってロケしたのかもしれません。
さて、できれば車両を絡めた写真を撮りたいなと思っていたものの、駅の時刻表を見ると列車が来ない時間帯なのに、列車接近の警報音が鳴りだしました。
何が来るのだろうと思っていると、宇土方よりエンジン音が聞こえ、間もなく黒っぽい車体が。
そう、「A列車で行こう1号」だったのです。

エンジン音を響かせながらトンネルに吸い込まれると、辺りは静寂に戻りました。


クルマを進め、半島の先端まで来るとついに天草諸島が見えました。
狭い海峡にかかる橋は天草五橋のひとつ「天門橋」。
この橋を渡ると大矢野島です。

(↑画像左橋の陸地が本土、橋を渡り中央が大矢野島
大矢野島に入りましたが、道路は海岸沿いでなく内陸を通っており、あまり離島感がない状況。
大矢野島から、橋の踏み台のような永浦島、大池島、前島と渡り、天草上島へ。
宮城県の松島とリアス式海岸を組み合わせたようないい景色。
大矢野島から天草上島までの間は、クルマを自分で運転するよりも、路線バスもしくは、自転車でゆっくりとこの道路を通りたかった程に、名勝でした。
天草上島では、道なりに走っていると道路がそのまま「松島有料道路」に接続。
地図を見る限りでは上島の北岸に沿って敷かれているのですが、多少内陸の上に、谷を渡ればトンネルに突っ込むので、あまり海を楽しめるような路線ではなさそう。
道路の造りも、片側1車線なれど、高速道路と何ら変わりません。
まさか、島へ来てこんな高規格道路を通るとは。
しかし、下島まで至らずに途中で終点となり、海岸べりの一般道国道324号線へ。
上島の西端まで来ると、道路がループを描いて高くまで昇り、天草瀬戸大橋を渡ります。

(↑右側が上島、左側が下島)
渡っている瀬戸は幅50M程度で、知らなければ川にしか見えない程。
ここを渡っていると、赤色の構造物が見えました。
どうも可動橋っぽい。
そこで、進路を外れ寄り道。

近寄ってみると、やはり可動橋でした。
しかし、道幅は2M程度で、人道橋として使用されており、クルマは入り口に柵もあり通れない様子。
橋が上がって船が通るところを見てみたく、30分程この橋にいたのですが、正月で漁も休みだろうし、船は通りませんでした。残念。
天草下島まで来ると、天草一の市街地、本渡です。
ここには天草キリシタン館があり、天草四郎キリシタン弾圧などの歴史が展示されているそうで、ぜひ見学してみたかったのですが、いかんせん正月で休館。
来る時期をよく考えなきゃ。
仕方ないので、下島からは国道266号へ。
下島の先端、牛深への最短ルートなのですが、道路は海岸から離れどんどん山中へ。
道路はダムのへりを通り、長平越という地名のいかにも峠という場所を通りますと、一旦早浦という海岸へ出ました。
波もほとんどなく、地図を見ると周りを山に囲まれ、入江の入り口はせまく、天然の良港といった様子。
しかし、道路は波静かな入り江から再び山中に入り、またも峠を越えると、やっと牛深に着きました。
寄り道がたたり、牛深着は13時半ころ。
牛深の漁港には、漁船がたくさん係留されていました。
その漁船のいずれも、先端にわずかに葉を残した竹を立て、その竹に日の丸や大漁旗などの正月飾り掲げています。

しかし、雨にぬれて、旗はたなびかず下を向いていました。
乾いて風にたなびけば壮観だったでしょう。
(↓一部はたなびいていました)

また、正月だからか、何か行事をやっていたようですが、あいにく終わったあとだったようです。


牛深港からは、鹿児島県出水郡長島、蔵之元港へのフェリーが出ていまして、このルートを使うと本土の出水や阿久根に抜ける事もできます。
折しも、蔵之元港からのフェリーが到着したところでした。

ただ、このフェリーをよく見るとクルマがまったく載っていないようです。


クルマをもう少しだけ進めます。
牛深港の真上を横切るように架けられた牛深ハイヤ大橋を渡り、下須島へ。
砂月海水浴場というビーチまで来ました。

夏ならば、海水浴客で賑わうのでしょうが、正月の雨降るビーチには物好きな旅行者である私一人がいるだけ。
海は雨に煙り、視界はあまり良くありません。
時間はもう14時を回っていたので、戻ります。


来た道をそのまま引き返すのでは芸がないと思い、牛深から島の南東岸を通る道にクルマを進めました。
ところが、これが悪路で、屈曲する海岸通りに道が敷かれているのです。
道幅も狭く、場所によっては行き違いのために、停まって待っていなければなりません。
カーブだらけなので、せいぜい時速40キロ程度までしか出せない。
クルマは19時までに返却なのに、こんな調子では熊本市へたどりつくのが何時になるかわからないので、深海という地区の三叉路で山中の国道266号に向かう道路へ曲がり、国道へ戻りました。

(↑海岸沿いの途中には、製作中の船と思しきものが見えました。[訂正]どうやら、「木型」だそうです。木型の内側にFRPを貼りつけていって、船体を成形していくらしいです。)
結局、芸のないことに、来た道をそのまま引き返す事になりました。


走っていて気付いたのが、天草諸島は大きい。
離島だし、『くるっと』周る程度のイメージを持っていたのですが、むしろ『ぐるっと』の大きさです。
下調べをしないままに足を踏み入れた私が悪いのですが、まさかこれほどまでに大きいとは。
マジメに観光名所に立ち寄りつつ、海岸沿いを走るならば、2−3日は必要なんじゃないでしょうか。
結局、クルマを返却したのは18時半でした。


空腹なので、熊本駅新幹線側の飲食店へ。
ここで熊本名物・大平燕(タイピーエン)を食す。

1930年頃、華僑の中華料理店の店主が、入手困難な食材を代用品を使用したのが起源だとか。
燕の巣の代わりに春雨を、アヒルの卵の代わりにウズラ卵などが入っています。
熊本ではたいへんポピュラーな料理だそうです。
なかなか美味しく頂きましたが、ビールを飲みつつ食べ終えたら、アルコールが効いたのか1日の疲れがどっと出ました。
ハンドルを握っていただけなのに・・・


(続)