大垣夜行の思い出 その6

(7)グリーン車の話題 乗車記その2
2度目は1995年8月17日に乗車でした。
大垣から東京まで上りの372Mに乗車しました。
このときは、事前にグリーン券を購入していました。*1
マルスM型端末 L型端末から発売してもらったもので、窓口氏が端末に、ナコカキ(=大垣)、トミトウ(=東京)と打ち込んでいた記憶があります。

グリーン車の連結がある湘南電車や横須賀線総武線を擁する首都圏のみどりの窓口マルス端末なら、そんな面倒な処理をしなくてもワンタッチで発券できるような設定にしていると思いますが、普通列車のグリーン券を発売する機会の極めて少ない関西のローカル線の駅での発券でしたから、ワンタッチで操作できるような設定になっていなかったのでしょう。やむをえない話です。
さて、当時のメモを見ますと、大垣駅にて21時すぎにグリーン車の乗車口に並び始めた、とあります。
なので大阪駅を19時00分に発車する新快速で移動を始めたと思います。
これだと米原20時24分着、米原20時25分発の上り電車で大垣2057着となります。
大垣駅では当時の大垣夜行は5番線発でした。

(↑の画像の313系新快速のホームが4番線。大垣夜行はその右である5番線発着。2012.04.04大垣駅にて。大垣駅は何度となく通ったのに、意外と撮影してなくてこんな画像しかありません。)
1〜4番線は多くの列車が頻繁に発着していますが、そのいっぽう5番線は樽見鉄道とホームを共用しており、独立しています。
さながら品川駅の臨時列車用ホームみたいなもので、大垣夜行待ちの多数の旅客を待たせるには好都合な乗り場でした。
それにひきかえ、臨時便9372Mは1番線発でした。
9372M待ちの利用客の列と、名古屋近郊の利用客がバッティングすることはなかったのかな?*2
定期列車372M利用の私は、この5番線でグリーン車の乗車口に移動しましたところ、すでに先客がいましたものの、6〜7番目の好位置に並ぶことができました。
こうなると、蒸し暑い真夏の夜、22時40分の発車時間までなにもすることがありません。
しかしながら、大垣駅というのは鉄道好きにとっては、かなり興味深い駅でした。
近鉄養老線(当時)、樽見鉄道と連絡していますほか、JRとは思えないようなミニ路線である美濃赤坂支線も当駅から発車していました。
近鉄養老線は、その当時私が近鉄南大阪線の常用利用者であったため、南大阪線から転属してきた車両6850系や6000系を改造した車両*3の発着を眺めることができました。
また、樽見鉄道では、当時はセメント輸送の貨物列車が隆盛でしたので、それ用のディーゼル機関車が側線に留置されているのも見えました。
そして、いちばん興味深かったのが、大垣駅を通過する貨物列車の多さ。
その当時、私の生活エリアで貨物列車の運行をほとんど目にすることがなく、通学ルートで片町線の鴫野〜放出間においてタイミングがあれば、城東貨物線経由、百済貨物駅発着の貨物列車を目にすることはあった程度。
それが、大垣駅では、ビビビビビ・・・・という列車接近ブザーのけたたましい音の直後に、長編成の貨物列車が猛スピードで轟音をたてて目の前を通過、そんなのがひっきりなしにやってくるものですから、とても刺激的であったことを覚えています。
そんな感じで時間をつぶしていたところ、大垣夜行の入線5分前頃に、このホームに団体列車が入線しました。
車両はJR東海のユーロライナーでした。

(↑1995.08.17 大垣駅)
おりしもこの翌日には東京で同人誌即売会コミックマーケット(通称コミケ)が開催されるとのことで、この列車が運転されたようでしたが、大垣夜行にもコミケ訪問の乗客が多数乗車でした。
そんな中に、この団体列車も目的はコミケなので、入線するとともにホーム上からどよめきが起こるとともに、羨望のまなざしで見られていたようでした。
こんな珍客もあり、退屈しなかった大垣駅での時間待ちののち、ようやく大垣夜行が入線しました。
入線後すぐさまグリーン車に乗車し、進行方向右側窓側の座席を確保。
このサロ165は下降窓の正統派サロ。
雨水による錆対策のユニット窓改造車でなかったので少しだけ嬉しかったと記憶しています。

(↑1996.02.11 東京駅 急行東海1号 サロ165-108 ユニット窓改造車)
結局のところ、車内は少し空席もある程度で大垣駅を発車しました。
ところが、名古屋に到着すると、グリーン車にも多くの乗客がなだれこんできました。
グリーン車の通路にまでたくさんの人で埋め尽くされました。
発車後、車掌が早速車内改札にやってきまして、通路に座っている人からもグリーン料金を徴収していました。
グリーン車は、座席だけでなく車両そのものがアッパークラスの空間とJRはみなしていますので、座席にありつけず通路にいる人からも料金を徴収しているのでした。
私の記憶では、お盆休みの上にコミケという集客イベントまであるにも関わらず、確かこの日に限って臨時便9372Mが運転されておらず、定期便372Mに旅客が集中し、とんでもない混雑になっていたという記憶があります。
なので、グリーン車の通路に座っていた人って、もしかしたら普通車が超満員スシ詰めでやむを得ずグリーン車に避難してきたのかもしれず、なのに料金を徴収され気の毒な限りでした。
この気の毒な人たちを横目に、座席を最大限リクライニングさせて私は眠りにかかろうとしたのですが、その4で触れた通り、座席が睡眠に適していないからかお尻が痛いことと、冷房が強力に効いていて、鳥肌が立つぐらいでした。
「涼しい」を通りこして「寒い」ほど。
仕方がないのでバスタオルをかぶっていたのですが、寒さが勝って眠れません。
さらに、寒さが原因なのかどうか、トイレに行きたくなったのですが、これが行けない始末。
通路にまで人があふれていますから、トイレ以前に、通路に出ることすらできません。
グリーン車も自由席ゆえに、トイレで席を外したら、通路にしゃがみこんでる人に席をとられてしまうかもしれない、との不安もありました。
いよいよの時には通路の人を蹴飛ばしてでもトイレに向かったでしょうが、何とか東京駅まで我慢することができました。
いまになって思えば、どれほどの混雑であったのか見るために、トイレに行っておくんだった、とちょっぴり後悔している次第でありました。
噂によると、11両編成の前から後ろまで通路やデッキはもちろん、洗面所にまで人が溢れかえっていたそうですね。
これが最後のサロ165利用となりました。

*1:当時大学生で貧乏なのに、グリーン車という贅沢のため青春18きっぷが利用できず、東京ミニ周遊券(学割で11,640円)+グリーン券(1,860円)を購入していました。なので、帰路も青春18きっぷを使えない列車ということで新幹線でした。確か100系ひかりの自由席だったかと。

*2:ムーンライトながらは1番線発車に変更されました。全席指定席だからホームを長蛇の列に占領される心配がないのでしょう。

*3:他には元・名古屋線の車両も。