12月4日(2) かにカニはまかぜ キハ181お名残り乗車 その2

(その1より続き)

姫路に着きました。
かなり乗車があります。
この駅から方向が変わるので座席下のペダルを踏み回転させました。
しかし、座席の方向など気にならない方や、回転させたいけど方法がわからずあきらめる方もいて、前を向いている座席があれば、後ろ向きもあり、統一感に乏しくなってしまいました。
姫路といえば名物「えきそば」。
久々に食べたいところですが、停車時間が4分では食べる事もかないません。


姫路を発車、播但線に足を踏み入れます。
しかし、しばらくは高架区間が続きますから、あまりローカル線っぽくありません。
姫路発車後、数分も経たないうちにスピードが落ち、姫路の次の京口駅でさっそく停車しました。
市販の時刻表には停車時刻は記載されていませんので運転停車です。
しばらくすると深紅の車体の103系2両編成普通5622Mが上り線に入線しました。
交換を済ませたので、わが列車もいざ発車!と思っていたのですが、動き出しません。
時刻表を見ると、5622Mの直後に2D特急はまかぜ2号があります。
さてはこれも待っているのか、と思いますと、やはりそうでした。
11月7日から新車キハ189系に置き換わったばかりで、銀色の車体に赤紫の帯はなかなか目立ちます。
3両編成でなかなかの乗車率のようです。
やはり新車はキレイですね。
2本待避を済ませ、わが列車も発車しました。


京口、次の野里としばらく北上すると高架区間は終わり地上に降ります。
すると、それまで滑るように走っていたキハ181系はやや小刻みに揺れ始めました。
日本列島の背骨たる東海道山陽本線は、本数が多く速度も速く、昔で言うところの「特甲線」で重量級の機関車でも問題なく高速で走行できるように、頑丈な路盤となっています。
そのいっぽう、播但線は線路の規格が低い「丙線」で、重量級の車両は入線できず、蒸気機関車全盛の時代、日本中で見られたD51ですら軸重が重く入線できず、D51よりも軸重が軽いC57が限界だったそうで、重い貨物列車ですら本来貨物牽引用のD51が牽引すべきところ、旅客用のC57がやむなく牽引していたいわくつきの路線でした。
その後、時代は下り、大阪から山陰方面へ向かう優等列車を設定する際に、福知山線が線路容量をフルに使い増発できなかったために、播但線を迂回する特急はまかぜ・急行但馬が設定されました。
この際におそらく路盤が強化されたものとは思われますが、それでも東海道山陽本線ほどではないのでしょう。
さらに、1998年の姫路〜寺前の電化と同時に改良されているのですが、東海道・山陽のごとき国の重要幹線ではないので(兵庫県的にはおそらく重要)、特急が定期で3往復だけですから、この程度の保線状況で間に合うのでしょうね。


それでも、かにカニはまかぜ号は臨時とは言え特急です。
播但線内は上述の1998年の改良の際に1線スルー化された交換可能駅が多く(そうでない駅もある)、交換のない駅では速度を落とさずに直線側の線路を突っ走ります。
単線であってもこのようにメリハリの効いた走行だと、乗客としても気持ちが良くなってきます。


仁豊野でまた運転停車します。
ここでは5624M普通列車と交換します。
この列車は「銀の馬車道」ラッピングされた103系でした。
銀の馬車道は、沿線にかつて生野銀山があった事にちなむものです。


さらに北上すると、播但線内で初の旅客扱いのある停車駅、福崎です。
驚きました。
思いのほか乗車が多いのです。ざっと20名以上はいたでしょうか。
このような駅でもかにカニツアーの販売に精を出しているのですね。
さて、停車後すぐ発車するのかと思えば、なぜか4〜5分も停車します。
臨時列車の一番の泣き所は、このように単線区間ですね。
定期列車の隙間を縫うようにダイヤが設定されていますから時間調整がどうしても発生してしまいます。
播但線のように本数の多い単線区間ではなおさらです。


福崎の次は甘地駅
時刻表を見るとこの駅で5626M普通と交換のようです。
はまかぜは臨時ですから、先に着いて、普通の到着を待つものだと思っていました。
ところが、待っていたのは普通で、我が列車は相手を待たせて通過しました。
どうやら、普通が特急を待つように時刻変更がなされていたようで、また、特急も福崎で長めに停車することで、甘地を運転停車なしで通過できるように時刻が設定されているようです。芸が細かいですね。
しかし、この駅は1線スルーではないのでしょうか、駅の前後の分岐を速度を落としての通過となりました。

次の停車は寺前。
停車の直前の車掌の放送で「まもなく寺前に停まります。寺前の次は生野です」と言ってました。
定期のはまかぜは生野停車ですが、かにカニはまかぜは生野は通過なのです。
ついいつものクセで生野と言ってしまったのでしょう。
訂正すらしなかったから気づいてないのかも。
その寺前駅でも少々乗車がありました。
この駅でも時間調整で約5分停車です。
この間、駅の喫煙所に人だかりができていました。
かにカニはまかぜは全車禁煙で、デッキすら禁煙なのです。
私は煙草を吸いませんが、喫煙派にはこの5分停車が貴重なのでしょう。
寺前発車後の放送では間違えずに「次は和田山」と正しく放送していましたね。


電化は寺前まで。
以北は非電化です。
キハ181の本領がここで発揮です。
しかし、山間でカーブが多くなり、勾配もきつくなります。
30パーミルの勾配標がありました。
自然、速度も落ちます。
ハイパワーのキハ181でも速度が落ち、せいぜい時速50〜60キロ程度でしょうか。
ゆるゆると走行し、寺前の次の長谷でまたもや数分の運転停車をしました。
1228D普通を待ちます。
キハ41系の1両単行で、この車両も銀の馬車道ラッピングでした。
こんなに運転停車が多いのなら、姫路でまとめて停車してくれたら「えきそば」を食べられたのに(笑)


勾配はさらに生野まで続きます。
低速で上り続け、生野駅を通過するとここがサミットのようで、ここを境に足取りが軽くなりました。
サミットをすぎると生野トンネルに入ります。
このトンネルは和田山から姫路に向かう列車にとって登り勾配となる片勾配のトンネルで、蒸気機関車の時代には機関士が煙に巻かれ殉職する事故も発生したという、いわくつきのトンネルでした。
ゆえに、機関士にはガスマスクが支給されたそうで、その後の無煙化においても、他線区を差し置いてディーゼル機関車が配備されたそうです。
その生野トンネルをゴロゴロと下りながら進みます。
線路沿いの川も、これまでは南に向かって流れていたものが、ここを境に流れが北向きになりました。
生野が分水嶺だったのですね。

確か長谷〜生野間だったと思いますが、橋梁のたもとにたくさんのカメラマンがカメラを構えて当列車を撮影していました。
こんな山間の場所でこんなにたくさんカメラマンがいるとは思いませんでした。
ここって有名撮影地なのでしょうか。


途中、どこの駅だったか忘れましたが、「播但線の早期全線電化を」なる横断幕を見ました。
電化が寺前までなのは、旅客の流動の問題もありますが、生野越えのいくつかあるトンネルが、建設年代が古く断面積が小さくて、そのままでは電化ができない、という問題もあるのです。
どうしても電化にこだわるならば、電化ができるだけの断面積を持った新しいトンネル
を掘るか、現有のトンネルの改良(盤下げで高さを稼ぐ)を行なうのいずれかになります。
新トンネルは莫大な費用がかかるであろうし、現有トンネルの盤下げは運休させないと工事は難しそうです。
山陰本線園部〜福知山間の電化時、トンネルの盤下げが実施されたのは有名な話)
阪神大震災の教訓として、バイパスルートの加古川線が電化されましたが、単線の上に交換可能駅の少ない加古川線を電化するよりは、同じく単線でも交換可能駅が多くて輸送能力が加古川線より大きい播但線を全線電化するほうが、遠回りではあるものの有用であると考えますが、さて如何でしょうか。
(どっちにしろ兵庫県がおカネを出さなきゃ進まないでしょうが)


この後、特急らしく和田山まで停車せずに走りました。
和田山に停車し、降車客がいます。
大阪から乗車していたサラリーマン風の方でした。
大阪からならば、北近畿1号のほうが大阪を遅く出発し、和田山には先着するのに、なぜこの列車を選択したのでしょう?
考えられるとすれば、何も考えずに大阪を一番最初に出る列車を選んだのでしょうか?
時刻表を見ながら選ぶ場合は北近畿系統とはまかぜ系統は別ページに掲載されているので、両方を調べながら選択となると、普通に考えたら北近畿1号を選択でしょう。
指定券が購入できる「みどりの券売機」だと、北近畿系統もはまかぜ系統も発車順に同じ画面に表示されますから、発車時刻が一番早くて画面の一番上に表示されているであろう、かにカニはまかぜを選んで購入したのかもしれません。
なぜこんな事が言えるのかと言うと、実は私もかにカニはまかぜ号の特急券を「みどりの券売機」で購入したのです。

(以下、その3に続く)