知多半島へ(垂井線、太多線、武豊線、名鉄河和線、名鉄知多新線、など)

4月7日、残1回となった青春18きっぷの消化のために、知多半島方面へ行ってきました。

例によってJR最寄駅より出発。
この日はやや遅めの8時少し前の列車でスタート。
最寄駅→王寺→奈良→京都と、奈良電車区のヌシこと221系
奈良からはみやこ路快速の京都行き。
奈良駅の高架下コンコースで食糧調達やトイレなどでボヤボヤしていたら、すでに入線済みで座席も7−8割が埋まっている状況。
通路側座席では車窓を独占できないため、先頭でかぶりつき。

前望していると、列車回数が多い割に単線区間が7割以上で、多くの本数をさばくために可能な限り手が加えられているのがよくわかります。
・単線区間のすべての駅に交換設備あり。
・駅間の閉塞区間も距離が短く、しかも2ないし3閉塞ぐらいあり。
・そして、一部の区間*1は複線化され、今後も更に一部区間の複線化*2の予定。
かくの如く増発余力が乏しくて苦しげな奈良線の状況をつぶさに観察していると、もう京都に到着しました。


京都より東海道本線上り、新快速近江塩津行きに乗車。
奈良線で立っていて疲れたので、補助椅子に着席。徐々に空いていき草津で通常の座席に着席。
彦根まで来ると、雪が降ってきました。
この日は西高東低の気圧配置で肌寒かったのですが、もう4月。まさか雪が降ってこようとは。
米原では、近江塩津行きなので北陸線用ホームの6番線に到着でした。
私はここで下車し、大垣行きに乗換。
新快速から降りた多くの乗客が階段に集中し、ホーム上と乗換通路がごった返しながら大垣行きの待つ8番線へ移動しています。
しかも、接続時間はわずかに3分。
普通列車の乗客が増える18切符のシーズンならではの混雑とはいえ、京阪神の新快速は遅れる事がたびたびあるのだから、名古屋方面にまで遅れを波及させないためにも、同じホームで対面乗換ができるようにダイヤ上の配慮をできないものかと思います。

乗換でこんなにごった返していたのに、大垣行きは意外にも米原を定発でした。
だけど、ごった返していた余波で残念ながら座席にはありつけなかったので、またまた先頭でかぶりつき。
乗り換えた電車は313系の4両編成。
大垣−米原間といえば、豊橋−岐阜間の猛烈競争区間から押し出された足が遅い老朽車(113系117系)の吹き溜まりというのが私が抱くイメージなのですが、車両は新鋭313系
時代は変わりましたね。

かぶりついていると、座っていてはなかなか目にする事ができないものが見えて面白い。

まず、米原近江長岡では真正面に湖国の名峰こと伊吹山がよく見えます。
雪を被ってかなり白い。
東海道本線はこの辺りではカーブが多いので、伊吹山は座席に座っていても見えますが。


続いて、関ヶ原→垂井間の通称「垂井線」。
この区間は一見複線区間のように見えて、上り本線と、単線の垂井線が並列しているだけで、下り本線は勾配を避けて大きく迂回しています。
「垂井線」については、当ブログをご覧の方々はご存じの方が多いでしょうし、ご存じない方はご自身で調べていただく事として詳細は省略しますが、鉄道マニア、そして閉塞好きとしてはとてもに興味深い区間です。

なので、前望していると、信号機も上り本線用と垂井線の上り用が並んで建植されています。
だけど、閉塞割りまでは合わせてないのかな。上り本線側にしか信号機がないところもあったように思います。*3

(↑垂井線を走る下り米原行き。)
一度でいいから、垂井線を通る上り列車に乗車してみたいのですが*4、朝ラッシュ時にしか関ヶ原発は設定されておらず、他地域在住の私としてはなかなか利用できない、レアな列車なのです。


また、垂井線は、線路の状態が平行している上り本線よりも一段落ちるのです。
上り本線は、重たい貨物列車が頻繁に走行するだけあって、重軌条化・ロングレール化されていて、乗車していても滑るような上々の乗り心地。
ところが垂井線は下り列車(とごく一部の上り列車)として軸重が軽い電車が走るだけ。
なので、ロングレール化されずにレールの継ぎ目を刻むジョイント音が聞こえ、乗り心地も上り本線よりは悪くなります。
かつては枕木も木のままでしたが、今回前望しているとPC枕木化されていましたので、多少は乗り心地もマシになったのではないかと思います。


そして、垂井−大垣間の下り線に設置されていたのが「き電吊架線」。

(↑の画像、右側の線路直上に設置された架空電車線の吊下線が太いですね。これがき電吊下線です。)
直流1500Vの電気を送電するための「き電線」と、トロリ線をぶらさげるための「吊架線」をそれぞれ別に設置していたものを、一体化することにより、部品点数減・省力化とコストダウンできる優れ物です。
JR東日本や西日本ではよく見かけるのですが、なぜか東海エリアではあまり目にする事がなかったのです。
それが今回はじめて目にしました。*5
たった30分だけの乗車だったのに、前望を濃密に楽しめた米原→大垣間でした。


大垣では新快速に乗り換えて岐阜まで乗車。
ここで高山本線のホームに移動。
車両はキハ11
岐阜から太多線へ直通のため、美濃太田での乗換は不要です。
美濃太田を出発し、右カーブをした辺りで美濃太田車両区が見えました。
ここには現役の車両の他に、留置線の奥にはかつて使用されていた車両が見えました。

見えた範囲内では381系、165系キハ82キハ181、キハ58、キハ35、旧客など。
特に湘南色165系。この色と車両を見ると大垣夜行を何度も使った自分としては懐かしいですね。
木曽川を渡り、可児駅名鉄赤い電車を見、その後は丘陵地帯の間を、勾配を避けるように線路が通されているのがわかりますが、車窓は単調でさほど面白くありません。
そんな景色が続くと、多治見に到着しました。
わずか4分の乗換時分。
これを勘違いしていて、危うく乗り遅れるところでした。
車両は211系ロングシート車のわずか3両編成。

始発駅の多治見から、既に立客が多い状況。
座れないのでここでも先頭でかぶりつき。
多治見→古虎渓→定光寺高蔵寺は、土岐川沿いの眺めが良い区間なのですが、残念ながら中央本線はトンネルを多用して複線化を図りましたので、渓谷美はわずか。
高蔵寺以西は市街地へと入り、わずか3両の211系はどんどん混雑。
行き違う下り列車がいずれも6両ぐらいあるので、どうにも腹立たしい。
そんな心境のまま金山に到着し、やっと混雑から解放されました。
金山から大府まで移動し、武豊線です。

武豊線は初乗ではありません。
実は1995年か1996年に乗車した事があります。
この時の車両は、デッキ付きのキハ48だったことを今でも覚えています。
暖地の、しかも名古屋の近郊でなぜキハ48なのか。雪が降る山陰本線や新潟周辺にはキハ47なのに。*6
こんな車両が名古屋駅まで直通していたとは、とても驚きです。
ところが今は、経由で走る313系ことキハ25系。
いやはや、時代は変わりました。
しかも、前望していると、架線柱がところどころに建てられています。

ついに電化工事が始まりました。
まだ線路沿いの一部にしか柱が建っていませんし、その柱にはVトラスビームや可動ブラケットなど電車線支持用の金具がまだ取り付けられていませんので、工事そのものはもうしばらくかかりそう。
途中、対向の上りが「貨物列車トラブルの影響で遅れています」との理由で5分ほど遅れてきました。
衣浦臨海鉄道の貨物列車にでも何かあったのかな。
武豊線沿線は、煙突が多いですね。
窯業、特に三州瓦の工場が多いと聞いていますから、大半がその関係でしょう。

終点武豊には、3−4分の遅れで到着しました。


武豊駅では、そのまま折り返しません。
歩いて10分ほどの場所に名鉄知多武豊駅がありますので、そこまで移動。

もともとは、名古屋へ戻るつもりだったのですが、路線図を見ると結構路線の端に近い。
しかも二股に分岐している上に、どちらも距離はしれているので、どうせここまで来たならば、というノリで内海と河和を目指してみました。


まずは内海へ。
知多武豊駅にやってきたのはステンレス車体の5000系。

のっけから名鉄とは思えない車両がやってきました。
名鉄は、やっぱり赤一色でないと。
阪急におけるマルーンに対する強いこだわりのようなものは、名鉄ではおそらく希薄なのかな?
富貴で内海へ向け知多新線へ分岐。
すぐに勾配を登り、山間めいた雰囲気に。
その山間に別曽池信号場があり、特急を待たせてこちらが通過しました。

上り線側が直線の配線で、しかも上下線のどちらの線路にも入線可なのに、わざわざカーブしている下り線側を通過していきました。
相手を下り線側に停車させれば減速せずに通過できるのに…
知多半島の東側から西側へ移動するので、トンネルがちの路線なれど、西側に移ってからは伊勢湾を望む事ができました。
途中、短いホームのようなものが見えましたが、建設途上で中止になりそのまま放置された駅との事。
内海に定着。
高架で4線もあり、何とも立派な駅です。
2線で十分じゃないのかとも思えるのですが。
改札を出て駅前を瞥見すると、観光地への玄関口というには、駅前はぱっとせずいささか物足りない雰囲気。
内海滞在わずか11分で折り返し。
この列車は名鉄らしく赤色の3500系

わずか17分の乗車で、富貴で下車し河和へ。
河和行きの特急がやってきました。
特急と言っても、富貴からは河和まで各停ですが。

特急は特別な列車ですから、先頭がパノラマ車な上に白に赤ラインと、ひと目で特別だとわかるスタイルですね。
ホームの先頭で待っていたら、河和側2両は座席指定車だったので、あわててホーム中ほどに移動して乗車。
自由席車でも転換クロスシートなので、南海の特急サザン*7とは異なりレベルが高いです。
わずか2駅ですぐに河和に到着。

ここは市街地に立地しているのでしょうか、せまい駅前にはバスが数台停車しており、下車客も各方向へ散らばって行きました。
降車客がわずか数人だった内海とはあまりにも対照的でした。
ここではわずか6分で折り返しです。
名古屋までダイレクトに行きます。

車両はまたも3500系の急行新鵜沼行き。
車内はセミクロスシートで、クロスシートは集団離反式という表現が正しいのかどうかわかりませんが、半分は前向き、残り半分は後ろ向き。
3扉車でこのような座席配置は珍しい。
関西ではこのような座席配置の車両はありません。
私は運転台背後のロングシート*8に座り、首を右に向けたまま前望を楽しみ増した。
しかし、途中で居眠りしてしまい、眼が覚めたのは神宮前の合流の少し手前。
何のためのかぶりつきだか…。
名鉄名古屋には夕方5時半頃に到着。
狭い地下ホームには、各方面に向かう旅客でごった返しています。
線路がカーブしているので見通しが悪い。
そして、2線しかないこの駅。
2分おきに着発していく様子をしばらく眺めていましたが、ほれぼれするばかり。

色んな種別で色んな方面に向かう色んな列車がひっきりなしに出入りするので、旅客を並べる位置も方面別に微妙にずらして、なおかつ並ぶ位置を示す行燈を方面別に色分けしており視覚に訴えてかけています。
設備の不足を知恵でカバーしている当駅は、しばらく見ていても全く飽きませんね。
一つ残念だったのは、20分ほど眺めていたのに、入線時の警笛に名鉄独特のミュージックホーンが全く聞こえなかった事。通常のタイフォンばかりでした。
あれだけの本数があれば、1本ぐらいは鳴らしてくれるものと期待していたのに。


とりあえず、名古屋駅まで戻ってきました。
18切符で奈良県まで帰るのはとても面倒臭いのと、翌日マラソン大会のハーフに出走するので早く帰宅して早く休みたかった事もあり、近鉄で帰る事にしました。

どうせなら、ということでアーバンライナー利用です。
「旅の終わりは個室寝台車」*9ならぬ「旅の終わりはデラックスシート」で帰途に着き、自宅には20時半頃に帰宅できました。
オロネ25個室寝台車のように優雅ではありませんが、1人用座席に贅沢に座ってまったりと一服できました。
もしも18切符で帰宅したならば22時ないし22時半頃でしょう。
なんだか近頃、時間を金で買う事が多くなってきました。


【この日の旅程】
最寄駅→(4428T快速)→821王寺825→(310Y区快)→841奈良858→(2604Mみやこ路快速)→944京都1000→(3218M)→1054米原
米原1057→(210F)→1129大垣1141→(5324F新快速)→1152岐阜
岐阜1215→(3725C〜3628C)→1319多治見1323→(5612M快速)→1353金山1406→(5518F快速)→1417大府1421→(3534C)→1455武豊
知多武豊1524→(7352C)→1544内海1555→(1673A急行)→1612富貴1623→(358レ特急)→1630河和1636→(1771A急行)→1728名鉄名古屋
近鉄名古屋1800→(68レ甲特急)→1937大和八木1942→(1781レ)→1948橿原神宮前1957→(1938レ)→2007尺土→最寄駅

*1:京都−JR藤森、宇治−新田

*2:JR藤森−宇治、新田−城陽、山城多賀−玉水

*3:並列区間の閉塞割りを合している事例としては、草津西明石複々線区間が有名。運転士による信号の誤認防止のため。

*4:もしも乗車が叶ったならば座席が空いていても先頭でかぶりつきます。

*5:写真をよく見ると、き電線が柱に取り付けられているようにも見えますので、この日の段階では、き電吊下線に電気を流していない可能性もあるかもしれません。

*6:降雪地域の高山本線との共通運用でキハ48が入ってきていたのかも?

*7:自由席はロングシート

*8:ロングというほど長くない2人掛け座席。

*9:故・宮脇俊三氏の著作のひとつ