夜行列車の思い出 その1 急行銀河82号

ネタに困窮しています。
そんな時には、過去の貯金を引き出してみることにします。
貯金といっても、さほどネタの蓄えが多いとも思えないのですが、その中からネタを絞り出してみましょう。
どうせ引き出すならば、タビテツ派あこがれの夜行列車。
夜行列車に乗車したときの、これからの長時間乗車に対する気だるさと、これから旅に出るんだとの気持ちの高ぶり。
機関車がノッチを入れた瞬間に、ガクンと衝撃が伝わってから引っ張られていくあの感触。
昼行列車、特に新幹線ではこのような雰囲気はまずあり得なません。
こんなことを書いていると夜行に乗りたくなってきます。
そんな思いを文章にのせて鉄分不足から現実逃避する事とし、まずは私の人生で初めて乗車した夜行列車から。


列車:急行銀河82号(たしか1995(平成7)年?のGW)
乗車区間:大阪→東京


銀河といえば、ご存知の通り東京〜大阪を結ぶ夜行列車として、2008年3月改正で惜しまれつつも廃止となった、最後の寝台専用急行列車でした。
定期列車では寝台列車でしたが、この陰に隠れるように、多客期のみ運転される座席のみの臨時急行も設定されていました。
当時、貧乏大学生であった私。
東京〜大阪を鉄道の移動であれば、青春18きっぷの季節を除くと、何と言っても東京ミニ周遊券の学割使用で11,000円台で移動できました。
大垣夜行の普通車ならば、これ以上の追加料金も発生する事もありません。
なのになぜ、この列車を選択したのでしょう。
この時、どうせ18きっぷが使えないのならば、大垣夜行グリーン車を奮発してみよう!と思っていたのですが、そこはしみったれた貧乏大学生。
大垣夜行に連結されていた自由席グリーン車は1,860円。
これに対し、銀河82号は1,770円(急1,260円+指510円)。
料金面だけでみると、銀河のほうがわずかながら安かったのです。
しかも、大阪を出ると東京まで乗換えなしで一直線。
それでいて安いのだから申し分なし!と当時の鉄道知識不足の私は喜んでいました。
ところが、これが失敗の元だったのです。


当時の時刻表を参照しますと、大阪駅10番線を21時30分発とあります。
定期銀河より35分速く発車。
当時の大阪駅長距離列車専用ホームといえば11番線(今も数字だけは同じ11番線ですが、場所は当時の9番線付近で全くの別モノ)ですが、臨時銀河は10番線でした。
私の記憶でも、進行方向右側から車内に入った記憶があります。
その10番線に赴くとはEF65を先頭に、14系座席車が6両ぐらい連結されていました。
GWだというのにやや寂しい編成両数で、臨時列車の人気のなさが伺えます。
先頭のEF65はどこの所属だったか、全く記憶にありません。
しかし、その後ろの14系は田町だったか尾久だったか、どちらかの車両でした。
行先方向幕には「東 京」としか表示されておらず、「急行銀河 東京」となっていなかったことになぜかがっかりした記憶があります。(鉄板のサボで「急行」なり「銀河」が差しこまれていたはずだとは思いますが、これは覚えていないのです)
私の指定席は6号車だったと思います。東京側の機関車のすぐ後ろの先頭車両でした。
こんなところに連結される車両といえば、ほとんどの場合は緩急車。
そして、エンジンからのガラガラという騒音が聞こえてきました。
14系の場合は緩急車にはスハフ14とオハフ15の2種類があります。
このうち、スハフ14には車内の照明や空調に使う電気を生み出すための発電エンジンが床下に搭載されており、これが騒音の元なのです。
車内に入ると、ホーム上ほどの音量ではなくなるものの、それでもエンジンの音がそれなりに聞こえていました。
何という仕打ちでしょう。
「客車」といえば、動力を持たないために静かな乗り心地と言われています。
ところが、せっかくの「客車」に初乗車だというのに、エンジンがやかましくて、このあと東京まで一睡もできなかったのです。
客車に乗っているのに、ディーゼルカーに乗っているような気分*1でした…。


発電エンジンの事はこれぐらいにしておいて、車内に入り込みますと、座席のモケットがオリジナルの地味な青色から貼り替えられたようで、あざやかな緑色で明るい雰囲気でした。
しかし、車内は座席の緑色がよく目立つぐらいに乗客は少なめでした。
大阪発車段階の乗車率は1割以下?の様子。
始発駅なんだから空席が目立つのは仕方ありませんが、この後の停車駅でもさほど多くの乗車はなかったように記憶しています。
あざやかな緑色の座席に座り、背もたれをリクライニングさせるべくレバーを引きましたところ、これがさほど倒れないのです。
簡易リクライニングシート*2である事こそ知っていましたが、これほどまでに倒れる角度が浅いとは思いませんでした。
シートピッチも910mmで、前の座席の土台が邪魔で足も伸ばせず、エンジンの騒音も相まっておせじにも居心地の良い座席ではなかった事は十数年前の事ですが今もはっきりと覚えています。

↑銀河82号ではありませんが、同じく14系座席車(この画像はJR北海道の500番台。青森駅にて。)ということで参考にしていただければと思います。


車掌さんはJR東日本の方でした。
確かグレー系のスーツで、首から車内改札用のカバンをぶら下げていました。
通学でJR西日本の制服を見慣れていた私には、これだけでも遠くに行くんだという気分*3になったように覚えています。


初めての夜行列車でしたので、気持ちが高ぶっていたのでしょう。
景色を食い入るように見ていたように思います。
景色といっても窓の向こうは真っ暗。
駅を通過する時だけ明るくなります。
新大阪、京都、大津、米原と停車し、ここから東はJR東海エリア。
駅名票のスタイルが変わります。
大垣はおろか岐阜すら通過し名古屋着。
このころの岐阜はまだ地上駅でした。
名古屋を0:27に出ると、時間帯は0時を回り、対向のローカル列車はありません。
3分ないし4分おきぐらいに貨物列車とすれ違います。
さすがは天下の東海道本線だな、と思いました。
その中に、ブルーの車体とすれ違う事もありました。
しかし、対向はカーテンが閉められ、車内の明かりも判然とせず、西へ向かう寝台特急ということしかわかりません。
豊橋ですら通過します。
浜松に停車すると、静岡、富士、沼津と停車します。
この間、通過する駅は照明は落とされ真っ暗なのですが、なぜか駅名票の照明だけが灯っている駅があったように思います。
乗務員に、この駅がどこの駅かわかるように敢えて明るくしていたのでしょうか。
三島、函南と通過するとトンネルに突っ込んだのでしょう。
ゴーっという音がずっと続きます。
トンネルがいつまでたっても途切れないところをみると丹那トンネルだったのでしょう。
減速してきたと思うとトンネルを抜け、すぐに来宮駅の電留線に留置されている長い編成の電車が見えました。
しかも、この編成の中に銀色2階建てのグリーン車が混じっています。
JR東日本エリアに到達したことがここでわかりました。
はじめて実物を見る普通列車用サロに心がときめいたのは言うまでもありません。
暗いとは言え、空はほのかに青みを帯びつつある早暁4:26、熱海に到着。
隣のホームに停車している長編成の湘南電車はすでに照明が灯り、発車に向けスタンバイしています。
熱海駅のけたたましい発車メロディーが車内にまで鳴り響き、わが銀河82号は1分停車で発車となりました。
その後、空は少しづつ明るくなってきました。
ここまで眠れなかったのですが、ますます眠れません。
海岸沿いの有料道路のインターチェンジの道路標識がまぶしくて目立ちます。
小田原も国府津も通過。
そうこうしているうちに終着駅に近づいてきます。
何とか睡眠をとろうとするもちっとも眠たくないままに列車は大船、横浜と停車。
多くない乗客のうち横浜でソコソコまとまった人数が下車したように思います。
早朝の光量不足がもたらすグレーの市街地の間を駆け抜けると品川にも停車し、6:03に東京に到着しました。
結局、全く眠れぬまま東京に到着しました。
横になりたかったなぁ。
ハタチそこそこの若い時でしたが、一睡もできなかったのはキツかったように記憶しています。
夜行の座席列車ではちっとも眠れないというジンクスがここに始まったのでした。

*1:ディーゼルカーの場合、変速機が変速段の時はエンジンの音が高いですが、直結段になると音が低くなりますので心持ち静かなような気がするのですが、スハフ14のエンジンは妙に高い音が一定の調子でずっと続き、ディーゼルカーよりもうるさく感じました。

*2:バッタンシート」と悪評が立てられる、腰を浮かせるとリクライニングが戻ってしまう座席だったのですが、銀河の14系ハザにおいてはロックされて戻らなかったので、ここだけは改良されていました。

*3:これが飛行機ならば、海外のエアラインに乗って異国人の客室乗務員を見るような気分でしょうか?