渡道(10)1月2日その1 石北本線特別快速きたみ号は年配団体客で満員

朝、目が覚めたので外を見ますと、どんよりした雲行きです。
雪こそ降っていませんが、この先どうなる事やら。


6時45分発の列車に乗車しますので、ホテルを6時30分にチェックアウト予定。
ホテルの朝食は6時30分で間に合わないので、昨日の釧路駅で、保険の意味合いで購入しておいた「かきべん」を食べました。

カキが傷まないように冷蔵庫に入れておいたため、ご飯がパサパサ。
駅弁は買ってすぐに食べるのがデフォルトのようです(笑)


チェックアウト。
周囲はまだ完全に明るくないですが、関西の同時刻よりは明るい。
駅舎に入り改札口に行くと、発車10分前だというのに改札口が閉め切られています。
駅員氏に声をかけ改札口を通してもらいました。
跨線橋を渡った2番線に北見行き4722D(網走から4654D)が見えます。
またもや車両はキハ54。
今回の渡道において、乗車する普通列車はキハ54ばかりで、定番のキハ40になぜか乗車できていません。
6時45分に発車。
列車はオホーツク海沿岸をトレースするように走行しています。
車窓から海が見えますが、いかにも寒々しい。
浜小清水駅で釧路行き4725Dと交換。
北浜駅から3人乗車がありました。3人とも旅行者風。
きっと、この3人は網走から上記4725Dに乗り、北浜駅で下車してわずか19分だけ滞在したのでしょう。
わずか19分滞在では北浜駅の旅情は味わえません。
駅の前のオホーツク海が見せる表情、駅舎で営業する喫茶店「停車場」で食事、これらを味わうには最低でも1時間は滞在しないとね。

(↑2005年3月の北浜駅です)
7時31分、網走着。
年配の集団が20〜30名ほど乗車してきました。
ここまでガラガラだったキハ54が満員になりました。


7時43分、網走を発車。
発車すると網走川沿いを走行します。
6年前に網走に来た時、定期観光バスで網走観光を楽しんだのですが、天都山に行く途中に線路と同じく川沿いを通りました。
景色は6年前も今も変わりませんが、自分はすこしづつ歳を重ねています。
時の流れをちょっぴり感じました。
網走川網走湖から流れ出しています。

石北本線は湖畔も通るのですが、6年前は湖上が氷結してワカサギ釣りが何人もいたのですが、今回はワカサギ釣りが見えません。湖面は氷結しているようですが。
正月の朝だから釣りをしていないのか、それとも氷が薄いからか…?


それにしても、年配の団体は一体なんなのでしょう。
荷物が多くてどうにも地元客ではなさそう。
添乗員っぽい人がいて年配の人に声をかけているのです。
旅行者だとしたら、こんな鈍行に乗らずに特急オホーツクに乗るはずなのですが。
まさか、特別快速きたみ号旭川行きに乗り継ぐのではないだろうな…


8時49分、北見着。
懸念が的中しました。
年配集団は跨線橋を渡って1番線のきたみ号の乗り場に列を作っています。
何てこった。
この先も騒がしい年配団体と行程を同じくすることに…。


金華発の4657D北見止めが入線しました。
キハ54+キハ40の2両。
何とか座れるな、とほっとしたのもつかの間、切り離し作業を始めました。

なんと特別快速きたみ号は1両単行のワンマン運転だったのです。
特急オホーツクよりは停車駅が多いとはいえ、都市間連絡の特別快速ですよ。
まさか1両とは…。
扉が開きました。乗車がはじまり列が動き出しますが、列の後ろのほうだった私は結局座れませんでした。
仕方ないので先頭部のデッキで立ちん坊です。
私以外にも座れなかった人が何人も先頭と最後尾のデッキで立っています。
仕方ないので先頭でかぶりついて前望を見るしかありません。
しかし、ガラスが徐々に曇ってくるのです。
運転台の窓は曇らないように熱線入りガラスなんだけど、助手席側は違うのでしょうか?
なんで1両単行なのか!(怒)、と腹立たしかったのですが、あらためて車内を見まわすと、立客はデッキと車内に若干名いますが、超満員ではないのです。
年配団体の乗車がなければ、座席定員以下の乗客数しかなさそう。
北海道において、地域の流動は全て札幌を向いており、石北本線沿線の諸都市においても同様です。
あいにく流動は旭川には向いていないようです。
旭川行きだと、札幌まで行くには旭川で乗換えなければならず、長距離列車の場合乗換なしでの列車が好まれますから、旭川までしか行かないきたみ号はニーズが高まらないのでしょう。
1両で運転の実態がこの辺りにありそうです。

地方の亜幹線において、特急と快速の両方が設定される例として、関西線・紀勢東線の名古屋〜紀伊勝浦に特急南紀号と快速みえ号が併存していた事がしばらくありましたが、快速みえ号はほどなくして特急南紀に吸収格上げされてしまいました。
そのいっぽう、きたみ号は設定されてから結構な年月を経ていますが、いまだに細々と設定されています。
特急に格上げすれば利便性向上につながり、沿線住民や観光客から喜ばれるのではなかろうかと思うのですが、あえて快速のまま据え置いているのは、特急をこれ以上設定するほどの需要・流動がないのかもしれませんね。
あと、利益への貢献度が低い18切符利用者へもJRが格別の配慮をしているのかな?(笑)


列車は常紋峠へとさしかかります。
使われなくなったスイッチバック式の常紋信号場をあっさり通過。

待避線用の信号機が×印で使用停止となり、わびしいですね。
雪から分岐器を保護する大きなスノーシェッドをくぐるのですが、当信号場での交換がなくなった今、スノーシェッドも分岐器も待避用の引き込み線も撤去すればいいのでは?
そのままにしておいても固定資産税はかかるんだから…。


遠軽に着きました。ここで方向転換。
私のいた先頭は最後尾に変わります。
昔は、このまま直進できる線路(旧・名寄本線、湧別・紋別方面)があったのですが廃止されたので、全ての列車がここで進行方向が変わることに。
ここまでの運転士が、運賃箱を片づけて「混雑しているから空いたスペースにも入っていいよ」と言ってくれたので、そこに入り込みました。
その数分後、遠軽からの運転士が最後尾の尾灯確認に来た際に、「ここには入っちゃダメ」との事。
「入ってもいいと言われた」と言うとOKしてくれましたが、混雑していて座れない客もいるんだから、こういった事を運転士どうしでちゃんと引き継いでおいてほしいな。


この先は石北峠越えです。
特に上白滝〜上川間は34kmも駅がありません。(駅から格下げされた信号場が3か所あり)
峠越えに挑みだすと、原生林の中をジリジリと登坂。

よくこんな場所に線路を通したもんだ、と感嘆している(ここに限らず北海道にはそんな場所多し)のも束の間、立派な高速道路が窓の向こうに見えるのです。
上越信号場付近では線路の頭上に立派な高架橋が見えました。

こんなところにまで高速道路が延びてきているのです。
高速道路が少しづつ延長されている上に、高速道路の無料化や走行距離にかかわらず通行料1000円など、時の政権による人気取り政策が税金を投入してまで実施されていて、鉄道・バス・船舶など自動車以外の交通モードが旅客減で青息吐息だというのに、経営の成り立たない路線を廃止しようとすると地元から反対されてしまう矛盾した交通政策がまかり通っている、昨今の日本。
ついには、JR四国に1800億円の支援策が運輸機構から実施されるそうです。
税金で一方を優遇して、苦しくなったもう一方を運輸機構のカネ(=間接的に税金)で支援。
一体なにをやっているんでしょうね、日本の交通政策って…


そんな思いを抱きながら上川に到着しました。
ここから先は石狩川が削って造り出した盆地を線路は通ります。
平地で線形もよく、停車駅も少ないから時速90〜100kmで快走しています。
かつての急行大雪号のスジを流用している列車だから、急行料金を徴収してもいいんじゃないかと思えるほど。
最後の停車駅の当麻駅でも数人の乗車があり、座れそうもない車内を見て彼らの顔に困惑の表情が見えます。
新旭川で宗谷本線と合流。
ここより(車両基地へ入る回送電車用の)複線電化区間となり頭上には電柱・架線ビーム・架線などが現れました。
ここまではすっきりした広い空が見られたのですが、電化区間に入ってからは頭上がうるさくなってきました。
複線電化だけでなく、旭川四条から高架となり、さながら大都市の雰囲気。
そんな雰囲気のまま、2007年に高架化されてとても新しくキレイな旭川駅に到着しました。
12時20分着。
結局3時間余り、ずっと立ちっぱなしで疲れました。

2005年に旭川に来た時は、まだ地上駅でした。
もうその面影はありません。
しかし、かつての地平駅だった部分はまだ再開発途上のようで、仮通路がカギ状に設置されていますね。
通路を外に出、駅前の旭川エスタ内の食堂で昼食を摂りちょっと一服。


【以下続く】