中国地方へ その2 石見銀山

その1からの続きです。
8月16日は石見銀山を目指しました。
ホテルをチェックアウト後、広島駅の北口*1まで、地下の歩道で徒歩移動。
過去、広島駅を利用した際は広電のある南口を使う事ばかりでしたから、広島で北口へ出てきたのは初めて。
駅前ロータリーに、石見銀山号というバスの乗り場があり、ここで待っていると、ほどなくしてバスの運転手が乗客の確認で現れました。
石見銀山号は、車体にツバメのマークが描かれた中国JRバスの車両。

このバスは路線バスではなく、ツアー客への貸切バス。
KNT利用の我々以外にも、いろんな旅行会社からの客が集まって10名ほどがバスに乗り込みました。


午前10時、広島駅前を出発。
広島から高速道路と一般道を利用して約3時間。
途中、三江線因原駅に隣接した道の駅「インフォメーションセンターかわもと」でトイレ休憩。
因原駅へフラッと立ち寄ってみたいところなれど、そんな事してバスの発車が遅れてはマズイので駅の見物は自重。
因原駅には人気がなく、はたまた道の駅にはクルマやバイクの利用者がそこそこいました。
一体どっちが本家の『駅』なんやろね…
バスは、クルマの少ない道路を快調に走ります。
沿道には、茶色の屋根瓦が乗った家が見られます。
茶色の屋根瓦こと石州瓦が見られるという事は、山陰に入った証。
特に山間部の農村地帯は、石州瓦しか見ないと言っても過言じゃありません。
旅で地域性をはっきりと感じる事ができる一瞬ですね。


11時、やっとに石見銀山付近に到着。
広島から乗ってきたバスはいったん当地で下車。
このバスは石見銀山観光が終わると広島へ戻るので、我々は松江から来たJRバスに荷物を預けました。
広島からのバスと松江からのバスが石見銀山で乗客を交換して、それぞれの出発地へ戻る運行形態でした。*2
観光案内所で電動アシスト自転車を借りて移動。

まずは龍源寺間歩(りゅうげんじ・まぶ)へ。
間歩とは、銀を採取するために掘っていった坑道の事。
石見銀山一帯に無数にある間歩のひとつがここ。

間歩に入るととてもヒンヤリしています。
気温15℃との事。
外気が30℃以上ゆえ、涼しいどころか寒いぐらい。

人の背丈ほどしかなく幅狭な間歩、頭上からは水滴もしたたり落ちてきて、否応にも厳かな気持ちになってきました。
間歩の中には排水や換気を目的に横や斜めにも掘り進んでいます。

(↑横に掘り進んだ坑道)
機械がない時代に、排水や換気、さらには落盤もあったでしょう。これらに悩まされながら、人力だけで掘っていったとは驚きの限り…。
鉱物の粉塵を吸い込むことで発症するじん肺も鉱夫に多く見られたようです。


続いて、「選鉱場跡」。
明治時代に入って、海外から取り入れた近代的製錬を行うための施設の一つとして、鉱石を砕いて必要な部分と不要な部分に分ける作業場がここ。
山の斜面のかなり上にあり、ここまで登っていくのに、片道20分ぐらいかかったでしょうか。

画像に手前に平地が、奥に石垣が見えますが、平地および石垣の上にそれぞれ工場が建てられていたようです。


この選鉱場で必要な部分だけ、この斜面の下にある「精錬所」へと送りこみます。
それが「清水谷精錬所跡」

写真ではわかりにくいのですが、斜面に石垣を数段築いて造成した平地があり、それぞれの段に工場を建築して、その中で銀の製錬が行われていたようです。

選鉱場から精錬所までの一連の施設は、明治27年に巨費*3を投じて藤田組*4建設したものの、操業わずか1年半の明治29年に、鉱石の品質が悪いために操業停止したとのこと…。


五百羅漢。
羅漢寺の正面を流れている川の対岸の岩肌に、石窟を掘り、その中に一人として表情の異なる石造の羅漢さんを501体安置しています。
銀山で働いていた人の供養のために羅漢さんを掘ったとか。
羅漢さんは一体たりとも同じ表情をしていないとのこと。
表情が違えば、姿勢も違ったりして、色々ありました。*5

羅漢さんの写真撮影は禁止されているので、画像は↑これだけ。
詳しくは羅漢寺のウェブサイトを参照。


銀山で栄えた街並みも保存されています。

「大森の街並み」
電柱や電線がなく、すっきりした風景ですね。
木曽の妻籠宿のような雰囲気に、山陰独特の石州瓦。
銀山の管理を行っていた代官所の跡地なども保存されていて、往時の雰囲気を少しは感じる事ができるかも。


石見銀山観光はここまで。
バスの時間は15時30分発。
観光に充てられる自由時間は3時間半でした。
もう少しゆっくりと観光したかったなぁ。
石見銀山からバスに再び乗車。

今度のバスは一回り小さなマイクロバス。
しかし車内は、座席は革張りで絨毯敷き、座席配置は1列+1列の、まるでグリーン車のようなゴージャスな座席でした。

一路、玉造温泉を目指します。

途中、海岸沿いの道の駅「キララ多伎」でトイレ休憩。
海岸沿いで、夕日がすばらしいとの事なれど、16時40分頃ではまだ日が高くて夕日は楽しむ事ができませんでした。
また、目の前の日本海には、イルカが時折姿を見せるとか。


宍道湖沿いにバスが走り、18時すぎ、今夜の宿の玉造温泉にようやく到着しました。
この日のお宿は、「紺屋」さん。
お盆の時期だけあって、結構繁盛しているようでした。

せっかくの温泉街まで来ましたので、ひとっ風呂浴びて、夕食後、ブラブラ歩きをしてみました。
すると、玉造温泉では、この夏の間、湯治客向けに夏祭りを催していました。

射的や輪投げ、飲み物販売などの夜店があり、いかにも夏の夜といった風情があって、見ているだけでもなかなか楽しかったです。

歩いたら再び汗をかいたので、宿に戻ってもう一度温泉に浸かって心と体のリフレッシュ。
汗を流せたら、明日に備えて就寝しました。


(以下続く)

*1:新幹線ホーム側の改札口

*2:銀山観光後、出発地の広島と松江へ戻る客もいました。

*3:当時の20万円。現在の数十億円。

*4:現在のDOWAホールディングス

*5:同じ表情では作れないから、半ばヤケクソ気味に作ったんじゃないか、と思えるような表情をした羅漢さんもありました。