沖縄・西表へ行ってきました その1

この夏のお盆休み期間中、西表島へ行ってきました。
8月13日(土)出発〜19日(金)帰着の日程でした。


関空10時25分発 那覇行きJAL2573便でスタート。

機材はB767-300。
座席は7A(クラスJ)。
まだ旧塗装の機材でした。鶴丸じゃなく残念。
ほぼ満席でした。
座席は進行方向左側の窓側。
飛行機に乗る時は、天候がよければ、窓側で景色を見るのが楽しいですね。
機内誌の後方ページに掲載の、日本地図に航路の線が縦横に引かれた航路図と見比べながら…


12時半頃那覇に到着。
この後、石垣行きの飛行機まで時間が4時間ほどあるので首里城の見学に行く事にしました。
ゆいレールに乗換えです。

600円の1日乗車券を購入。*1
ここの1日乗車券は珍しい事に24時間制で、13時頃に購入したならば、有効期限は翌日の13時までとなるのです。

他地域の1日乗車券は、有効期限は乗車当日限りが多いので、購入する時間帯によってはあまりメリットがない場合もあります。
ゆいレールのこの方式を他でも採り入れたらいいのに、と思いました。


2両編成のモノレールは那覇空港駅出発時点で座席は埋まり、立ち客も結構います。
それなりに利用されているようです。
特に奥武山公園〜おもろまち間は市街地の中心エリアなので、頻繁に乗降がありました。
約25分で終点首里駅に到着。*2
駅の階段を降り、道路に出たところに、缶コーヒーを飲んでいるおじさんが一人いて、声をかけられました。
首里城いくの? あっちの方向だよ。タクシーに乗っていかないかい?」との事。
駅から首里城は徒歩でも15分程度で訪問できる距離です。
沖縄は暑いので、短距離でもクルマを使う傾向が高いそうですが、この日は薄曇りで辛抱できない暑さでもなかったので、歩いて行く事にしました。
歩くほうがゆっくりと街並みを見る事もできるしね。


琉球王朝の王城である、首里城に到着。
太平洋戦争の沖縄戦で徹底的に破壊されてしまいましたが、戦後、徐々に再建され、1992年に現在の姿になりました。
その後、世界遺産にも登録されたほどの城ですので、以前よりぜひ訪問してみたいと思っていたところ、今回、飛行機の乗り継ぎ待ちの時間を利用しての訪問が叶いました。


まず入り口である守礼門へ。

ここをくぐり、中へと入っていきます。
夏休みだけあって観光客が多い。
首里城は高台の上に位置しているので、階段や坂道を登る格好となります。
途中には門がいくつもあり、これをくぐって進みます。
そして、正殿へたどりつきました。

日本の城とはまったく異なる雰囲気で、中国風な建物ですね。
琉球王国は日本と中国の間に位置し、それぞれと交流があったために、日中を折衷したような感じが随所に見られますね。


また、この日は首里城の中で、琉球舞踊が演じられていました。

3人の女性が、鮮やかな文様の紅型(びんがた)を身にまとい、頭には大きなホオズキを半分に割ったような打掛をかぶり、ゆったりと琉舞を舞っていました。
最後までじっくり観させてもらいたかったものの、石垣行きの飛行機の時間も迫っているので、4演目あるうちの最初のひとつ目だけでその場を後にしました。


首里城を後にして戻ります。
帰りもモノレールです。
このモノレールは川の上や道路上の制約あるスペースをうまく利用して敷設されているので、急カーブが多い。
カーブが多いので速度制限も多く、運転台速度計に併設装備のATCによる車内信号(最高速度の指示)が頻繁に変わります。
しかし、高架なので眺望はよい路線です。

海が見え、公園が見え、街並みが見え、そして首里城が見え…。
那覇を訪問される機会があれば、ぜひ利用をオススメします。


那覇空港に戻りました。
那覇空港はいつ来ても混んでいますね。
これから乗る石垣行きの搭乗手続きの為に列に並ぶも、手続きを終えるまで20分ほどかかりました。
マイレージを貯める関係上、本当はJTAに乗りたかったのですが、早割の空席が売り切れていたため、やむなく早割の空席が残っていたANAの夕方の便となりました。
16時55分発ANA1779便、座席は3F。
機材はB737-500。
今度は右側の窓側です。
離陸すると、やや遠くにケラマ諸島や久米島を見ながらぐんぐん上昇。
空の上から見る島々は、濃い青色の海が広がる中に、サンゴ礁の淡い水色で縁取られた大小さまざまな島が見え、更に島の中には森の濃い緑が見え、田畑の淡い緑と赤土の赤茶色がパッチワークを成して、本当に息を呑む様な景色が展開されます。
久米島を通りすぎるとしばらくは間があき、そして宮古島下地島伊良部島の上空(真上)を通過します。
下地島伊良部島は、パッと見るだけならばひとつの島にしか見えないのですが、よくみれば島の真ん中に細い水路があり、ここで隔てられていることが何とか判別できます。

(↑水路を挟んで、左:下地島 右:伊良部島 この画像は上り便、那覇行きから撮影)


宮古諸島を過ぎると、水色のサンゴ礁に縁取られた多良間島水納島が見えます。
多良間は丸いものの宮古ほどに大きくなく、水納島はさらに小さい。
この両島は宮古と石垣の間に挟まれ、あまり有名ではないので、ぜひ訪問してみたい島のひとつです。
なんでも、すごく静かだとか。


多良間が見える頃から飛行機はぐんぐん降下を始め、石垣の山並みが見えてきました。
過去に私が搭乗した時、島の南側(海側)へ回り込んでから着陸が多かったのですが、今回は北側(陸側)からそのままの着陸でした。
着陸時に急ブレーキがかかります。
石垣空港は滑走路が1500Mしかなく、オーバーランは絶対に許されないため、ジェットエンジンの逆噴射で急ブレーキをかけてスピードを殺さないといけません。
こんな短い滑走路ではこれ以上大きな機材は使えないために、現在の空港よりも数km北側に新しい空港を作っています。
今の石垣空港は、こぢんまりとしており、さながらJR幹線クラスにおける地方都市*3の拠点駅のような雰囲気を醸し出しており、私は今の石垣空港が好きなのですが、あと2年ほどで新空港に切り替えられてしまいますので私のような旅情派には残念なところです。
17時55分、石垣空港に到着。

(↑5年前の画像です。だけど、今もほとんど変わりません。そういや、「垣」と「空」の間の石垣市章はいつのまにかなくなってしまいました)


空港から路線バスで終点のバスターミナルまで乗車。
ここは離島への高速船の乗り場である離島ターミナルのすぐそばでもあり、何かと便利な場所なのです。
この夜は石垣で宿泊。
全国展開している某ビジネスホテルに投宿。
インターネットで予約すると安かったのでここに決めたのですが、離島ターミナルから徒歩15分以上かかりました。
インターネット上の地図を見ると、港のすぐ近くのように見えたのですが、全然近くなかった。
港は港でも、フェリーが発着する港のそばであり、離島ターミナルの近くではなかったのです。*4 *5


夜は美崎町という繁華街へ夕食を食べにいきました。
ここで意外な出来事がありました。
獅子舞を見られたのです。
夕食を食べたあと、店から出たら太鼓、鐘、笛の大音響が聞こえ、人だかりができていました。
そこで、2頭の獅子舞が激しく動き回っていたのです。
顔は、本土の獅子舞のように真っ赤ではなく、赤をベースに黒の文様が描かれています。
体も、緑の幕を纏っているのではなくて、ベージュ色の毛で出来た毛皮のようなものを纏っています。*6

以前、台湾に行った時に、台北で何かの祭りに遭遇した事があったのですが*7、その時にも太鼓、鐘、笛の大音響がありました。
八重山諸島のうちのひとつである石垣は、那覇よりもさらに台湾、そして大陸が近いため、中華風の風習が石垣に入ってきて独自の文化を築き上げているのかもしれないと感じたのですが如何でしょうか。
長崎もそうですが、大陸との交流があった地域では、独特の文化が根付いていますよね。
現代の日本はグローバル化という荒波の中に進出していますが、それでも島国根性はなかなか抜け切らないもの。
異なる文物を見て、自らの知識を研鑽する必要性が琉球や長崎には昔から根付いていたのでしょうね。

それにしても、こんなものを纏って激しく動き回っていたら、暑くないのかな。
当然暑くて暑くて堪らないのではないかと思いますが。

(続)

*1:那覇空港首里を片道利用だけでも320円なので、1日乗車券は値打ち感あり。後述の首里城の入場料金も2割引きになる特典あり。

*2:首里城へは、終点首里駅のひと駅手前である儀保駅からもアクセスできるのですが、鉄道マニアとしては、やはり終点まで乗車したかったのです。

*3:県庁所在地クラスではなく、人口10万程度の。

*4:翌朝は重い荷物をひきずって15分も歩くのがイヤだったのでタクシーに乗りました。

*5:石垣はタクシーの初乗り料金が430円でとても安く、本土のようにタクシーに対する心理的ハードルが高くないのです

*6:イトバショウの繊維を編んで作ったものだそうです

*7:山車のようなものを引いていて、爆竹がすごかった