信州ローカル私鉄めぐり(3) 2012年1月8日 長野電鉄ほか

長野1009→(523レ)→1102信州中野1119→(5A特急ゆけむり)→1131湯田中
湯田中1327→(10A特急スノーモンキー)→1355須坂1424→(417レ)→1501屋代
屋代1507→(2653M)→1526長野1611→(351M)→1746直江津1748→(1347M)→1921長岡1923→(455M)→2044新潟

長野より、長野電鉄に乗車です。
1997年に、長野−善光寺下と松代−屋代*1の一部区間だけつまみ食い的に乗車しましたが、それ以来。
長野駅は地方私鉄としては破格の地下ターミナル。
善光寺下までが地下区間のため、地下に潜る入り口があります。


乗車券は、「楓の湯クーポン」という、長野〜湯田中〜屋代の乗車券と湯田中駅近傍の温泉の利用券がセットになったチケットを購入しました。

車両はここもまた東急の中古車でしたが、ここは4扉車の8500系

近頃は多くのローカル私鉄に東急の中古車が出回っているので、車両だけに関して言えば地方にきた感触が薄いような気がします。
小布施では、「502」という機関車が保存されています。

腕木式信号機も。

これは場内信号機ですね。
信州中野で乗り換え。2002年に廃止された木島線の分岐駅でした。

小田急ロマンスカーである、1000系車両のゆけむり号に乗り換え。
連接車なので、車長が短い寸詰まり。
関西ではこんな車長の車両を目にすることがありませんから、違和感がありました。
信州中野を発車すると、周囲にリンゴ畑が広がる中を湯田中へ向けて、ジリジリと勾配を登って行きます。

坂を登り詰めると、湯田中に到着しました。
湯田中駅はかつて一風変わったスイッチバック構造の駅でしたが、数年前に何の変哲もない棒線駅に改良されていましました。

駅前は雪が踏み固められて氷結してしまい、雪になれていない私は歩きにくい。

↓駅の裏側に回ると、昭和30年代まで使用されていた駅舎があり、これが楓の湯という温泉施設の一部に転用されています。

↓旧駅舎の右側奥に新築の部分もありました。

長野駅で購入した入湯料つき乗車券にて、楓の湯に入りました。
冬って、厚着しているところで、暖房が効いている場所に入ると、結構汗をかきますので、楓の湯で汗を流してサッパリしました。
列車の時間まで、まだしばらく間がありましたので、ソバ屋に入って天ざるを注文。


さすがは信州だけあって、美味しかった。


湯田中駅より折り返します。
13時27分発、特急スノーモンキー号。

JRの成田エクスプレスがカラーリングもそのままに長野電鉄に転用されました。

2100系(元253系)はJR時代も含めて初めての乗車です。
地獄谷で温泉に浸かるニホンザルの写真がそのまま貼り付けられています。

温泉に浸かる猿の様子が外国に紹介され、一躍世界中で有名になったそうです。
今回、地獄谷野猿公苑には立ち寄れませんでしたが、日をあらためて立ち寄ってみたいと思います。
スノーモンキー号の車内は、ほとんど手を加えられていないようで、集団見合いシートのままでした。
私は始発駅の湯田中から乗車なので、進行方向向きに着席しましたが、途中からの乗客は反対向きの座席に着席している人もいました。
須坂に到着。
私は屋代行きに乗り換えのため、ここで下車。

須坂には車庫や工場があります。
なので、使われなくなった車両も留置されていました。
↓ブドウ色の2000系。

↓OSカーこと10系。

跨線橋の上から、りんご色の2000系。

昭和後期−末期に鉄道が好きになった者としては、長野電鉄といえば2000系や10系と記憶に刷り込まれています(^_^);
地方私鉄でもかつてはこのような独自車両を導入していました。
近頃は鉄道会社をとりまく状況が厳しくなり、新車を導入するだけの余裕がないからか大手のお古ばかりになってきましたので、寂しい限り。


須坂より、屋代線に乗車。
あと3か月で廃線*2ですので、鉄道好きの人もちらほらと乗車していました。
車両は元営団地下鉄*33500系

14時24分、須坂を発車。
発車すると、沿線の景色はひなびてきました。
県都長野に直接向かわない路線ゆえに、宅地開発なども進まなかったのでしょう。

松代に停車。
窓外に目をやると、テコ小屋に非自動信号時代の信号テコがいまだに残っていたので驚き。

1997年に当駅を利用した際にも残っていたのですが、その後15年経っても撤去されていません。
撤去にも費用がかかりますから、寂しい話ですが、いかに屋代線に手が入れられていなかったかの証左でもあります。
↓1997年9月28日の松代駅テコ小屋

松代といえば、駅舎も木造でひなびており、1997年には確か窓口で硬券の乗車券を出札してもらったように覚えています。
もしも今後も現役だったら、ドラマの撮影にでも使用できそうな駅だっただけに、廃止はなんだか残念。


屋代駅に着きました。

ホーム上の待合室が木造でいい感じ。

長電屋代線のホーム上から軽井沢方を見るとここにも169系が留置されていました。

直流急行型電車を目にしたのは、これが本当の最後になりました。


屋代から長野まで移動。
長野駅には団体電車「彩」が今まさに出発していきました。

長野より直江津行き1347Mに乗車。


車窓から見る妙高高原、関山、二本木付近はすごい積雪です。
地元の方はどう思われているのか知りませんが、私のような雪のほとんど積もらない地域の人間からするとすさまじい景色。
妙高高原駅の屋根の上には1Mはあろうかと思えるぐらいの積雪。

日の入りも過ぎていよいよ暗くなり、車窓も見えなくなってきたので、長野駅で購入した駅弁を賞味。
「林檎風味香る信州サーモン弁当」です。


1年半も以前のことなので、味について詳しい事を思い出せないのはご容赦ください。
直江津に到着。隣のホームに停車している1347Mに乗換え。わずか2分の接続で買い物する余裕もなし。
車窓は完全に真っ暗。
柿崎ではトワイライトEXPに追い越されました。
食堂車の明かりがまばゆい。きっと今頃ディナータイムなのでしょう。

柿崎では↓画像のように、日本海からの北風を避けるための防風板が設置されています。
防風板を見て、かれこれ17年前、やはり信越線の鈍行に乗車していて、柿崎で当時はまだ健在だった新潟行き急行赤倉号の待避があったことを思い出しました。

私がその時に見た急行赤倉は165系で、クモハ165−1を含んだ湘南色トップナンバー編成3両と、快速ムーンライト号*4用のアコ改車3両の6両編成で*5、この柿崎にて、上述の防風板にかからないように停車して、わが普通列車より先に発車していったように記憶しています。
↓急行赤倉と共通運用だった快速ムーンライト号(1996年12月30日/長岡駅?)

長岡でもわずか2分の接続で、455Mに乗換え。
この列車は6両で、そのうち3両が湘南色に塗り換えられていました。

羽生田でも特急の通過待ち。今度は北越7号の通過待ちでした。

真っ暗で景色が見えない中を丹念に各駅に停車するので、どうにも気持ちがだれてきます。
屋代駅から5時間以上も115系の普通電車ばかりに乗り継いで20時44分、やっと新潟駅に到着しました。

*1:善光寺参詣と川中島古戦場見物

*2:2012年4月1日廃止

*3:東京メトロ

*4:ムーンライトえちご。その当時、ムーンライトの名を語る列車は上越夜行快速のこの列車だけでした。

*5:たぶん湘南色は増結編成