震災報道に思う & 三陸タビテツの思い出

11日の震災発生から8日が経過しました。
亡くなられた方の人数が日に日に増えていく事と、いまだに行方不明の方が大勢おられる事を思うと心がつらいです。
この間、震災を報道するテレビ番組を見ていて、一視聴者として考えさせられる事象があったので、書き連ねてみます。


(1)震災発生3日後。確か13日の日曜日だったかと。
某テレビ局にて、有名なコメンテーターが何人も出演していました。
福島第一原発の問題や、停電問題についてコメンテーターが政府や東電の対応について色々と批評…、というより批判を展開していました。
特に計画停電については、重箱の隅をつつくような瑣末な批判を、あるコメンテーターが繰り出していました。


確かに、後から振り返れば批判されるような反省点も色々と噴出してくるでしょう。
しかし今は、避難所で電気もガスも水道もないところで余震におびえている方が大勢おられます。
また、がれきの下で救助を待っている方もいるはずです。
そして、原発では、東電首脳の対応は批評の対象になるかもしれませんが、現地では状況が悪化しないように作業員の方が奮闘されておられます。


そういう状況の中、照明を煌々と点灯させた東京のスタジオで高みの見物をしているコメンテーター連中の繰り出す批判を聞いて、非常に腹立たしさを感じました。
今はまず、震災に遭った地域の方々に対して情報提供するとともに、また、東北関東以外在住者が今、どのような行動をすべきかを、テレビ局が落ち着いて報道するべきではないかと思いました。


どんな事象に対しても問題点や改善点は発生するものです。
一刻を争う緊急事態なのですから、批判・反省するのはもっと状況が落ち着いてからでいいのです。
今まさに救助や救援物資を待っている方々がたくさんいるこのタイミングで、こんな批判を電波に乗せて全国に発信した某テレビ局とコメンテーター連中の見識を疑いました。
批判ばかりしているコメンテータを見て、こいつらが原発まで行って作業を手伝ってこい、と思ったとともに、計画停電をやるなら、まずこのテレビ局の電気を止めてやればいいんだ、と思ったぐらいです


(2)放射線放射能の報道について
私は専門家ではありませんので、もしかしたら記述に誤りがあるかもしれないことを先にお断りしておきます。
報道を見る限り、福島第一原発は、今も大変な状況のようです。
現場で復旧作業されている作業員の方の奮闘に頭が下がります。


放射線放射性物質放射能について、どうにも混同されている様子。
詳細は、各媒体などに記されていますから、ググるなどして調べて下さい。
参考までにWikipedia「放射線」のページのリンクを貼っておきます。
Wikiの信憑性については、また別の話。ここでは論じません)


これをふまえ、下記します。
放射線の数値が上がった、もしくは下がったという事を連日報道されています。
「どこそこの場所で計測したら、Xマイクロシーベルトであった。通常のY倍である」という事を大げさに言った後、「この数値は健康には影響のないレベルである」という点を付け加えるかのように言っています。
放射線量について安全レベルの数値、要注意レベルの数値、危険レベルの数値の範囲をまず説明をした上で、計測された数値について伝えるべきではないでしょうか。
報道内容にバイアスがかかっているのか?
どうにも不安感を煽っているようにしか私には見えません。


(3)放送局の役割分担について。
震災発生後数日にわたり、全ての放送局が終日、震災報道を実施していました。
しかし、放送局により手持ちの映像に違いこそあれど、どの放送局も同じような内容です。
震災当時および翌日ぐらいは仕方ないかもしれませんが、せめて翌々日ぐらいから、局によって役割分担ができないものでしょうか。
(例)
A局…総合ニュース
B局…ライフラインの情報
C局…避難所の情報
D局…行方不明者の情報
E局…行政サービスの情報
以上のような具合に。
地域によっては放送局の数に多い少ないがありますので、そう簡単にはいかないのかも知れません。
しかし、求める情報は人によって異なる訳ですから、役割分担は検討されてもいいのではないかと感じました。


この数日にわたり各局の報道を見ていて、災害の時には某公共放送が強いな、と感じました。
私は、某公共放送のまわし者でも何でもありませんのであしからず。


  *   *   *   *   *   *

前回に引き続き、三陸におけるタビテツの事をば。



八戸線陸中八木駅付近です。
車窓左手には太平洋、前方には当時JR線では絶滅寸前だった腕木信号機。
乗っていてロケーションの素晴らしさに気持ち良くなる路線でした。



↑JR八戸線三陸鉄道北リアス線の接続駅である久慈駅にて。
三陸鉄道には仙台から八戸までの400.0kmもの距離を、三陸海岸沿いに直通運転する豪快な直通列車「快速リアスシーライナー」が夏休み期間中に限って運行されています。
また、これを補完するように、久慈と盛の間だけを直通するシーライナーサポート号という直通列車もありました。
シーライナーサポート号は北リアス線、JR山田線、南リアス線の定期列車3本のスジをそのまま流用して直通運転した列車で、私はこれに乗車したことがあります。
本当はリアスシーライナーに乗車したかったんだけど、時刻の都合上無理だったのでシーライナーサポート号に乗車したのですが、これでも十分に楽しかった。



↑これが快速リアスシーライナー号です。
綾里駅で私の乗るシーライナーサポート号と交換しました。
結構混雑していましたよ。
2004年当時、リアスシーライナーもシーライナーサポートも結構運転日数があったように記憶していますが、その後、三陸鉄道車両の車齢の問題と、JRで併結運転されていた快速南三陸号の車両が置き換えられた(キハ58→キハ110。三陸鉄道の車両とキハ110は連結器が異なるので連結できない)関係で、運転日が激減してしまいました。
そこに追い打ちをかけるような震災が…。
三陸鉄道も相当にダメージを受けている事が予想されます。
今年の夏の運転は難しいかもしれません。