12月5日(6) 若桜鉄道初乗。隼駅に驚き。

鳥取駅で乗り換えます。
高架の立派な駅で、駅ホームも架線がない以外は都会の駅にも劣りません。

やや待ち時間が長いので、駅高架下のラーメン屋で昼食。
アベ鳥取堂の駅弁「かに寿司」を買おうかとも思ったものの以前賞味したことがあり、何だか暖かいものが食べたかったのでラーメンとなりました。
それも、鳥取でなぜか札幌ラーメン…


腹がふくらんだところで、鳥取発14時22分発の1337Dに乗車すべくホームに上がります。
ホームに停車していたのはステンレス車体のWT3300形の1両単行。

先頭の貫通扉には、かつてのブルートレイン「さくら」に使用されたヘッドマークのデザインそっくりな「若桜線開通祝80年」のマークが貼り付けられています。
車内に乗り込みますとボックスシートかと思いきや転換クロスシートだったことに驚きました。
貸切やイベントを想定した車両なのでしょうか。


鳥取を発車しました。
乗車率はまずまず。5〜6割の乗車でしょうか。
土曜日の昼下がりなので高校生も乗車しています。
2人掛けロマンスシートにおおむね1人が着席している感じ。
発車すると進路を大きく右にカーブさせ高架を降りて行きます。
地平に降りて、郡家までは因美線を走行。
津ノ井駅では島式ホーム1面2線の右側の線路に入りました。
1線スルー化された駅で交換がなくても直線側に停車するのですね。
振り子特急が高速で走行する路線だけあって路盤も強化されており、乗り心地も上々。
かつてキハ58+65の急行砂丘が、タブレットを通過授受しながら走っていた時代とは、大きく変わりました。

(↑1997年の鳥取駅に停車する急行砂丘)


郡家に14時36分着。
やはり乗客は結構降りました。
乗車もありますが降車よりは少ない。
乗車率は3〜4割ほどでしょうか。
それでも、乗りとおす乗客も多い様子。
若桜鉄道における鳥取直通はたいへん意味あるようです。
乗客だけでなく、乗務員も交代。
郡家より先が若桜鉄道となるからです。
14時39分、郡家を発車。
進路を左にカーブしながら因美線と別れると、ほどなく車窓右手に学校が見えます。
これが八頭高校
そして、高校のすぐ隣の八頭高校前駅に停車しました。
かつて高校のすぐ近くに若桜線がありながら駅がなく、三セク転換後に設置された駅です。
郡家〜八頭高校前のキロ程はわずか0.9kmで運賃はわずか100円。
開業当初は160円で、もっとたくさんの高校生に利用してもらいたいとの願いから60円に値下げをし、一時は日本一運賃の安い区間で有名になった駅でもあります。(現在の日本一は北大阪急行の80円)
この駅から高校生が結構乗車しました。
「結構」とは言いつつも十人程度ですが。
おそらく郡家方面に向かう学生のほうが多いのでしょう。
それでも、若桜鉄道における最大のお得意様のはずです。


八東川が作った広い谷間を線路は南東に向かって敷設されています。
谷間の幅は結構広く、田畑が結構広がっています。
列車は隼駅に着きました。
車窓の右側を見ていると、こげ茶色の車両がふと目に入りました。
何の予備知識もなかった私は、「!?」な表情です。

後から調べたところによると、「ハヤブサ」という名称のバイクを愛好するライダーたちが、ライダーの休憩場所を作るために、当駅にこの電気機関車を設置したそうです。
ですが電気機関車では休憩場所にはなりませんので、客車もどこかから運んでくるとか。
http://www.nnn.co.jp/news/101116/20101116007.html
地域のシンボルだった蒸気機関車や、廃線となった路線で走行していた旅客車を、地域の元鉄道関係者などにより静態保存される例は多く、他にも寝台車を列車ホテルとする例や食堂車をレストランとする例もありますが、ライダーが主体となって保存するという話は他には聞いた事がありません。
もちろんライダーだけでは限界がありますから、地域も協力するようですね。
どのようなものが出来上がるのかよくわかりませんが、いいものが完成したらよいなと思います。
部外者が言うのもなんですが、ひとつお願いを述べるとすれば、保存車両の上に屋根を設置してあげてほしいところです。
他でよくあるのが、車両を設置したものの、その後の手入れがナオザリであり、雨ざらしの車体がサビ進行によりやむなく解体されてしまう例が多いのです。
屋根で雨を防ぐことが一番の対策で、延命が可能になります。


さらに列車は進んでいきますが、車内の暖房が快適なのと、窓から差し込む陽光で睡魔に襲われウトウトしてしまいました。
目が覚めたら丹比駅で、この間の記憶がほとんどありません。
15時09分、若桜駅着。

【12月4日(7)に続く】