上信電鉄はガラの悪い関西弁がお好き?

トンネルめぐりは先述の4駅で終了です。
続いて翌日は関東平野外周のローカル私鉄を巡りました。
まず上信電鉄から。
高崎と下仁田(こんにゃくで有名ですね)を結ぶ私鉄です。
上信の名称は、上州と信州を結ぶという壮大な計画の元、その頭文字をそれぞれ取って名付けたのでしょうね。
だけど、どんな事情があったのかわかりませんが、国境の荒船山を越える事は叶わず、下仁田が終点となっています。
さて、始発は5:52発です。
本当はもう少し遅い列車にしたいのですが、当日中に関西の自宅に帰らなければならないので始発から攻めます。
高崎駅はJRの1番線の西側に、上信専用の0番線を設置して乗り場としています。
JRとホームを共用こそしているものの、ホームに柵を立てて厳然と隔てられていますね。
なので、JR〜上信の乗り換えは、一旦橋上コンコースの改札を出なければなりません。


上信電鉄といえば、今から30年前ぐらいに、ローカル私鉄にしては珍しい事に、自社発注の電車を導入しています。
ローカル私鉄もかつては自社独自の車両をけっこう導入していましたが、モータリゼーションの発展とともに鉄道の利用が減り、独自車両の導入ができるだけの資金が手当てできず、やむなく安い値段で大手私鉄の中古車を導入している例が多いです。
そんな背景の中、上信は1980年代に独自の新車を導入しましたので、どんな鉄道会社なのか興味があったのです。


そんな興味を胸にいだいて切符を買ってホームに行きますと、居ました。
上信オリジナルの車両です。

さすがは下仁田に行く電車ですね。
車体の広告がこんにゃくですよ。

オリジナル車両の最大の特徴は、進行方向右側にある運転台です。

その昔、タブレット閉塞だった時に、タブレットの受け渡しをやりやすいように運転台を右側に設置したのだとか。
確かに行き違いのできる駅は島式のホームが多いようです。
※他の鉄道会社から導入した中古車は左側運転台でした。さすがに改造はしなかったようです。

交換可能駅がこまめに設置されている上に、交換のための信号場が何と3か所も設置されています。
うち一か所は上越新幹線の橋脚を上下線でサンドイッチしていました。
何とも特徴的ですね。


旅客の利用ですが、下りの始発とあって、ガラガラです。
自分を含めても10人未満です。
荒船山にハイキングでも行くと思しき格好の人も乗ってますね。

沿線の風景を見ていますと、高崎駅を出て3〜4駅ぐらいまでは周囲に住宅が多いのですが、さらに進むと畑が多くなり、山も近くなってきます。
もっと景色をじっくりと楽しむつもりだったのですが、朝早い始発だけあって、睡魔が襲ってきて、そのままダウンしてしまいました。
目が覚めたのは、終点の一つ手前の千平でした…。


終点下仁田駅に着きました。
周辺に温泉などの観光地がある訳でもなく、地味な駅前です。
渋くて、実にいい雰囲気です。
木造モルタル造り瓦屋根の駅舎、その隣にはタクシー会社、駅舎の向かい側には赤丸に「通」の文字が大きく目立つ日本通運の系列の運送会社。
そして広くないけど駅前広場があって、ここにバス停があります。
地方私鉄の駅前のお手本のような風景でした。


駅構内には、島式ホームを挟んだ両側に旅客営業用の電車が停まっているほか、数本の側線があり、ここに赤錆びた貨車が留置されています。
その昔は、上信電鉄でも貨物の取扱があったのでしょう。
下仁田で収穫されたこんにゃくやネギを日通のトラックで駅まで運び、この駅で貨車に載せて機関車牽引で高崎まで運び、高崎で国鉄に引き渡していたのでしょうか。
そんな光景が思い浮かびます。


折り返し高崎行きに乗ります。
西武からのお下がり、2枚窓の元101系が同じホームの反対側に止まっていて、これに乗れるのかなと期待しましたが、往路で乗った電車がそのまま折り返します。
高崎行きですので、往路とは異なり、各駅からこまめに乗車があります。
日曜なのに高校生が多いですね。クラブ活動かな。


車内の放送で「次は、なんじゃい」と言ってます。
なぜ関東平野の隅っこで、ガラの悪い関西弁が聞こえるのでしょう?
…と思ったら駅名なんですね。
どうしてこんな地名=駅名があるのか詳細は分かりませんが、地名は言葉の化石とも言います。
たとえばニュータウンにおける「●■台」や「▲が丘」、また、市町村合併においてその地域とどんな関係があるのかよく分からない市名が付けられたりと、無味乾燥でツマラナイ地名が導入されやすい風潮の昨今、こんな地名=駅名が残っているのが面白くて楽しくてたまりません。